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【マラッカ海峡 プラナカンの町へ④】経済発展著しい都市国家 シンガポール

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【マラッカ海峡 プラナカンの町へ④】経済発展著しい都市国家 シンガポール

プラナカン文化を紹介するプラナカン博物館

 

マレー海峡の「プラナカンの町」を巡る旅の最後は、急速な経済成長を遂げてきた都市国家、シンガポールへ。プラナカン博物館開館の挨拶(あいさつ)で、リー・シェンロン前首相はプラナカンの出自であることを告白したのだった。

 

プラナカンとはいったい何者なのか

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シンガポールに到着した私はチャイナタウンにあるショップハウスを改修したホテルにチェックインを済ませ、公共バスに乗ってアルメニアンストリートにあるプラナカン博物館へ向かった。

前回、シンガポールを訪ねた2019年は、博物館が改修中だった。ちょうどプラナカンに関する本を読んで、プラナカン文化に興味を持った頃だった。いまにして思うと、博物館が改修中だったことで余計にプラナカンに対する興味を刺激されたのかもしれない。約4年間の改修工事を経てリニューアルオープンした博物館へ足早に向かったのだった。

建物の歴史を遡ると、博物館になる以前は1912年に建てられたタオナン学校(道南学校)だった。海峡植民地に初めて設立された福建人のための近代的な学校は、94年にアジア文明博物館に改築され、その移転後の2008年に東南アジアのプラナカンコミュニティーの異文化芸術を紹介するプラナカン博物館が開館した。

驚くのは、第3代シンガポール首相、リー・シェンロンがプラナカン博物館の開館式の挨拶で、「私はババ(プラナカン)です」と語っていることだ(参考『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民族』太田泰彦/日本経済新聞出版)。シンガポール初代首相の父、リー・クアンユーが封印していた一族の秘密を告白したのである。複雑な多民族社会であるシンガポールにおいて、首相がプラナカンであることを告白すれば、それは政治的な意味合いを含んでしまう。一方で、この告白を耳にしたプラナカンコミニティーがアイデンティティーを触発されたことは想像に難くない。

プラナカン博物館。右奥に見えるのは婚礼ベッド
博物館には「ダイバーシティ(多様性)」の表記とともに多くのプラナカンの写真が展示されている

また同じ08年にシンガポールで放送されたTVドラマ「リトル・ニョニャ」は空前の大ヒットとなり、日本で言えば「おしん」のような国民的ドラマとして人気を博した。マレーシアのマラッカに住むプラナカンの伝記的なフラッシュバックを中心に展開する物語は、1930年代を舞台に70年以上にわたる3世代の家族の人間模様を描いている。

ちなみに、マラッカとペナン島・ジョージタウンが世界文化遺産に登録されたのも2008年。プラナカン博物館が開館した年は、明確な国家戦略が見て取れる。こうしてプラナカンの存在は世界に注目されるようになっていくのだった。

プラナカン博物館を後にした私は、古くから多くのプラナカンが暮らしたカトン地区へ向かった。ニョニャクエと呼ばれる伝統的なプラナカン菓子の老舗キム・チュー・クエ・チャン、隣にはプラナカン雑貨の名店ルマービビが並ぶ。カトン地区に暮らすプラナカンによって考案された麺料理カトン・ラクサを食べ、1920年代に建てられたカラフルなショップハウスが軒を連ねるクーン・セン・ロードを歩いた。どこも多くの人々でにぎわっている。カトン地区に暮らすプラナカンの日常を垣間見た気がした。

カトン地区に並ぶカラフルなプラナカンのショップハウスが並ぶクーン・セン・ロード
シンガポール・朝食の定番カヤトーストと半熟卵
ランドマークの東亜ビルは1939年以来地域の住民に愛されるコピティアム(朝食を販売する喫茶店)として75年間ここに店を構えていた

プラナカンとはいったい何者なのか。マラッカ、ペナン、プーケット、シンガポールを訪ねて、プラナカンの足跡をたどった。しかし私が目にしたのはわずかな一面に過ぎず、いつしか複雑なプラナカン文化の迷路に迷い込んでしまったような感覚を覚えた。そんな謎めいた一面もまたプラナカンの魅力なのかもしれない。

文・写真/関根虎洸

 

プロフィール
せきね・ここう
1968年、埼玉県生まれ。フリーカメラマン。元プロボクサー。著書に『遊廓に泊まる』(新潮社)、『桐谷健太写真集・CHELSEA』(ワニブックス)ほか

シンガポールチャンギ空港直結の複合施設「Jewel(ジュエル)」には40メートルの滝が流れる
シンガポール海峡に停泊するタンカー船群。プラナカンは15世紀後半に中国から沿岸地域にコミュニティを作っていった

🖋プラナカンとは

主に15世紀後半からマレー半島にやってきた南部中国系移民と現地マレー人女性の間に生まれた子孫のこと。インド系やユーラシア系のプラナカンも存在し、現地マレー人女性とマレー系以外の外国人男性との間に生まれた子孫の総称を意味している。マレー語とインドネシア語で子どもや子孫を意味する「anak」を語源とするプラナカンは、マレー語で「この土地で生まれた」を意味し、英語で"Bornhere"と訳される。


【旅のインフォメーション】
交通:羽田からシンガポールまで7時間半
時差:日本より1時間遅れ
ビザ:観光や商用目的での30日以内の滞在であればビザは不要
通貨:1シンガポールドル=115円( 2025年1月現在)
気候:年間平均気温は約27度。1年を通じて気温の大きな変化はない。
参考:シンガポール政府観光局

(出典:「旅行読売」2025年1月号)
(Web掲載:2025年2月22日)


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