【マラッカ海峡 プラナカンの町へ③】タイ南部のリゾート地 プーケット
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かつてロマニー通りは娼館や賭場が軒を連ねるレッドライト(赤線地帯)だった。現在はインスタ映えする若者の人気スポットに生まれ変わっている
マレーシアから国境を越えて目指したのは、世界的なリゾート地であるタイのプーケット島だ。プラナカンの文化が残ると聞いて訪れた旧市街には、マラッカやペナンで見た、間口が狭く奥に長い「ショップハウス」が立ち並んでいた。
古くから東西交易の中継港だったプーケット
【マラッカ海峡 プラナカンの町へ②】「東洋の真珠」と呼ばれる島 ペナンから続く
プーケット国際空港から1時間20分ほどバスに揺られて、旧市街のプーケットタウンで下車した。
プーケットはアジアを代表するリゾート地として知られるが、港から1キロ離れた旧市街にはプラナカン文化が息づいている。 マレーシアやシンガポールだけでなく、タイにもプラナカンが暮らしているのは意外だった。各々のプラナカン文化の違いも興味深い。プラナカンはいつどのようにしてプーケットにたどり着いたのだろうか―。
古くから東西交易の中継港だったプーケットは16世紀になるとポルトガル人が訪れ、福建省を中心とした中国南部からの移民も増えて、島は20世紀初頭まで錫(すず)の採掘と貿易で繁栄した。旧市街を歩くと、どこかペナンの街並みに似ていることに気付く。
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タイのプーケットにいまもプラナカンが多いのは、19世紀半ばから20世紀初頭、シャム(現タイ)政府による政治的な思惑があったからだった。英国勢力に接して位置するプーケットを安定して統治するため、政府はペナンからプラナカンを誘致して錫鉱山を開発し、労働者の調達と管理を任せた。英国による海峡植民地(マラッカ、ペナン、シンガポール) の経営に倣った政策だったと言われている。
旧市街にはプラナカン様式のカラフルな建物が点在している。現地で「シノポルトギース」と呼ばれるこれらの建物は、当時の繁栄を偲(しの)ばせるノスタルジックな雰囲気を漂わせている。シノは中国、ポルトギースはポルトガルを指し、中国とポルトガルの折衷の建築様式を意味する。これらの古い建物を再利用したカフェやホテルが増えたことで、観光客も増えている。昼食に食べた中華系移民のソウルフード、ホッケンミーはマラッカやペナンの旧市街のものと近い味だった。
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目抜き通りのタラーン通りにあるホテルにチェックインした。建物は間口が狭く奥に長いショップハウスである。それもかなり長い。
フロントデスクのスタッフに、どれくらいの長さがあるのか尋ねた。
「106メートルあります」
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その長さに驚きながら私は質問を続けた。
「マラッカのショップハウスに宿泊したことがあるのですが、この建物の間口が狭く奥に長いのは、タイにも同じ税金制度があったからでしょうか」
マラッカでは、間口の幅で税金が決まっていたオランダ統治時代の名残で、京町家のような奥に長い建物が残っていた。オーナーの親族だという女性スタッフの返答は意外だった。
「建設当時のタイにそのような税金制度はありませんでした。ペナンのショップハウスをまねたのです」
つまり税金対策ではなく、タイでのショップハウスの建設はプラナカンとしてのアイデンティティーによるものと語るのだった。
彼女の福建省出身の先祖は、シンガポールを経由し、マラッカ、ペナンを経てプーケットにたどり着いた。そしてタラーン通りの78番地に建物を購入し、輸入時計の販売と修理を行う商売をしながら、徐々に奥へ長いショップハウスを建てたのだという。
プーケット滞在中、私は一度も海を目にすることなく旧市街を後にした。
文・写真/関根虎洸
【マラッカ海峡 プラナカンの町へ④】経済発展著しい都市国家 シンガポールへ続く(2/22公開)
プロフィール
せきね・ここう
1968年、埼玉県生まれ。フリーカメラマン。元プロボクサー。著書に『遊廓に泊まる』(新潮社)、『桐谷健太写真集・CHELSEA』(ワニブックス)ほか
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🖋プラナカンとは
主に15世紀後半からマレー半島にやってきた南部中国系移民と現地マレー人女性の間に生まれた子孫のこと。インド系やユーラシア系のプラナカンも存在し、現地マレー人女性とマレー系以外の外国人男性との間に生まれた子孫の総称を意味している。マレー語とインドネシア語で子どもや子孫を意味する「anak」を語源とするプラナカンは、マレー語で「この土地で生まれた」を意味し、英語で"Bornhere"と訳される。
【旅のインフォメーション】
交通:羽田からバンコクまで直行便で約7時間。バンコクからプーケットまで国内線で1時間半
時差:日本より2時間遅れ
ビザ:30日以内の滞在は不要
通貨:バーツ(THB)。1バーツ=4.5円(2024年12月現在)
気候:11年を通じて最高気温30~35度と温暖
参考:タイ観光案内サイト
(出典:「旅行読売」2025年1月号)
(Web掲載:2025年2月20日)