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【マラッカ海峡 プラナカンの町へ②】「東洋の真珠」と呼ばれる島 ペナン

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【マラッカ海峡 プラナカンの町へ②】「東洋の真珠」と呼ばれる島 ペナン

E&Oホテルの創業は1885年。イギリス海峡植民地時代に建てられたペナン最古のホテル


マラッカ海峡に点在する「プラナカンの町」を訪ねる旅。マラッカの次に歩いたペナン島は古くから交易船の寄港地として栄え、現在はマレーシアを代表するリゾート地として「東洋の真珠」とも呼ばれる。今回の目的は「プラナカン建築の最高傑作」。建物がある島の中心部の歴史都市ジョージタウンを目指した。

 

イギリス植民地時代の名残を留めるコロニアル建築のE&Oホテル

【マラッカ海峡 プラナカンの町へ①】世界遺産の港湾都市 マラッカから続く

ペナン空港から配車サービスのGrab(グラブ)を利用して、ジョージタウンにあるイースタン&オリエンタル(E&O)ホテルへ向かった。マラッカとともに歴史的な街並みが世界文化遺産に登録(2008年)されたジョージタウン。マレーシア北西部に位置するペナン島で最も古いE&Oホテルは、イギリス植民地時代の名残を留めるコロニアル建築が街のランドマークになっている。

ホテルのプールサイドを歩きながら、マラッカ海峡に沈む夕日を眺めた。かつてプラナカンや世界各地の商人たちもこの海を渡ってきたのだ。

プラナカン屋敷を改修したホテル「セブン・テラシズ」内のKebaya Dining Roomはミシュランに選出された伝統的ニョニャ料理レストラン
チャークイティオ。米粉の麺はマラヤのソウルフード

翌日、チェックアウトして向かった先は、ホテルから距離にして200メートル足らずのチョン・ファッ・ツィーマンション。スーツケースを引きながら、強い日差しや雨を避けるためのファイブ・フットウェイと呼ばれるアーケードを歩く。5フィート(約1.5メートル)の幅で設置が義務付けられていたイギリス植民地時代の名残である。

ライトアップされたチョン・ファッツィーマンション

別名「ブルーマンション」と呼ばれる鮮やかなインディゴブルーの建物は、NY(ニューヨーク)タイムズ紙に「東洋のロックフェラー」と紹介されたチョン・ファッ・ツィー(1840-1916年)氏の事務所兼自宅であり、生涯8人いた妻の中で最も寵愛(ちょうあい)を受けた7番目の妻のための家だった。プラナカンに惹(ひ)かれた私にとって、真っ先に泊まってみたいと思ったのが、プラナカン建築の最高傑作として知られる、この「ブルーマンション」だった。

広東省の貧しい客家(はっか※)の家に生まれたチョン氏は16歳でインドネシアに渡り、水運業を手始めに貿易商として次々と事業を展開。一代で巨万の富を築き、「マラヤ(※)でもっとも裕福な人物」として知られた立志伝中(りっしでんちゅう)の人物だった。1916年にチョン氏が亡くなった時、中国政府は葬儀に高官を送り、イギリス領インド帝国とオランダ領東インド(インドネシア)は半旗を掲げたという。

チョン氏が亡くなると子孫は金策に困り建物は荒廃したが、89年に地元の自然保護活動家団体が建物を買い上げ、6年の歳月をかけてできる限りオリジナルに忠実な修復が施された。そして98年にチョン・ファッ・ツィーマンションはホテルとしてよみがえったのである。

建物の内部は、息をのむほどの精巧な調度品がしつらえてある。花崗(かこう)岩が敷かれた五つの中庭や七つの階段、220を数えるゴシック様式のルーバー窓、中国彫刻が施された木製パネル、アールヌーボー様式のステンドグラス……。

2000年にユネスコのアジア太平洋遺産賞の最優秀プロジェクト賞に選出された「ブルーマンション」
現在、「ブルーマンション」はホテルとしてすべて異なる18部屋が客室になっている
1日3回、ガイドツアーが開催される

「ブルーマンション」の近くにはプラナカン博物館もある。かつて英国からカピタン・チナ(中国人リーダー)に任命され、一方で「海山(ハイサン)」という客家系秘密結社のリーダーでもあった富豪チュン・ケンキー(1827-1901年) の屋敷を改修して、使われていた日用品などを展示している。コロニアル様式ではなく、中華・マレー・西洋の要素が混ざったプラナカン様式の自邸に暮らした2人は、客家人としての繋がりがあった。共にプラナカンの出自ではなかったことも興味深い。プラナカン建築は華人のアイデンティティーとしての役割を果たしていたのではないだろうか。

文・写真/関根虎洸

【マラッカ海峡 プラナカンの町へ③】タイ南部のリゾート地 プーケットへ続く(2/21公開)

 

プロフィール
せきね・ここう
1968年、埼玉県生まれ。フリーカメラマン。元プロボクサー。著書に『遊廓に泊まる』(新潮社)、『桐谷健太写真集・CHELSEA』(ワニブックス)ほか

 

ペナンのプラナカンマンション(博物館)で撮影された1941年の結婚式の写真
チョン・ファッ・ツィー氏

🖋プラナカンとは

主に15世紀後半からマレー半島にやってきた南部中国系移民と現地マレー人女性の間に生まれた子孫のこと。インド系やユーラシア系のプラナカンも存在し、現地マレー人女性とマレー系以外の外国人男性との間に生まれた子孫の総称を意味している。マレー語とインドネシア語で子どもや子孫を意味する「anak」を語源とするプラナカンは、マレー語で「この土地で生まれた」を意味し、英語で"Bornhere"と訳される。


【旅のインフォメーション】
交通:羽田からクアラルンプールまで約7時間30分。クアラルンプールからマラッカまで高速バスで2時間
時差:日本より1時間遅れ
ビザ:観光や商用目的での90日以内の滞在は不要
通貨:リンギット(RM)。1リンギット=約35円(2024年10月現在)
気候:平均気温は約27度と、高温多湿の南国の気候
問い合わせ: マレーシア政府観光局

(出典:「旅行読売」2025年1月号)
(Web掲載:2025年2月20日)


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