【マラッカ海峡 プラナカンの町へ➀】世界遺産の港湾都市 マラッカ
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マラッカの丘の上に立つセント・ポール教会のザビエル像
東南アジアのマレー海峡に「プラナカン」の町がある。「プラナカン」とは、主に中国からマレー半島への移民と地元民との間に生まれた子孫たちのことで、エキゾチックな独自の風俗・文化を生み、その存在は現地の政治経済にも影響を与えてきたという。異国に根付いて暮らす「プラナカン」に惹かれた著者は、マラッカ、ペナン、プーケット、シンガポールと、彼らがその一部を築いた4都市を訪れた。
マレー語で「この土地で生まれた子」を意味するプラナカン
マレーシアの首都、クアラルンプールから高速バスで2時間。マラッカに到着した私は、旧市街のトゥン・タン・チェン・ロック通りを歩きながら、プラナカン(Peranakan)が暮らすショップハウス(店舗付き住宅)を眺めていた。ピンクやグリーンなどカラフルに彩られた2階建てのショップハウスには漢字が描かれている。いかにも古そうな民家の他にカフェやレストラン、博物館やホテルに改修したショップハウスが軒を連ねていた。
マレー半島のマラッカやペナン、シンガポールなどに暮らし、マレー語で「この土地で生まれた子」を意味するプラナカンは、主に15世紀後半より中国南部からやってきた中国系移民の子孫を指す。マレー人女性と結婚し、現地に定住した彼らの子孫は男性をババ、女性はニョニャと呼び、東洋と西洋が入り混じった独自の文化を育んできた。中国南部が発祥とされるショップハウスは、プラナカンによってカラフルでエキゾチックな建物に変容を遂げている。
プラナカンの存在を知った私は、他国でたくましく生きる彼らの存在に惹(ひ)かれ、プラナカン発祥の地として知られる古都マラッカを訪ねたのだ。
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2008年に世界文化遺産に登録されたマラッカはマラッカ海峡に面し、古くから東南アジアの歴史と文化の交差点として栄えた港町。15世紀にマラッカ王国が最盛期を迎えるが、16世紀になるとポルトガル、17世紀にオランダ、19世紀にはイギリスによる植民地支配が続いた。必然的にマラッカは多様な文化が混ざり合った歴史を持つようになった。
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プラナカンの家庭では、父系の宗教や伝統を継承し、現地に溶け込みながら母系の言語、食習慣や生活様式を取り入れ、また教育にも力を入れた。多くのプラナカンは英語教育を受けていたので、イギリスによる植民地時代には「海峡華人(ストレイツ・チャイニーズ)」と呼ばれ、宗主国イギリスに重用されたことで香辛料の貿易や錫(すず)鉱山、ゴム農園の経営などで財を築いていく。やがて社会的な地位を確立し、現地の政治・経済にも大きな影響力を持つようになった。
トゥン・タン・チェン・ロック通りを歩きながら、プラナカン屋敷を改修したカフェに入り、チェンドルと呼ばれるかき氷を注文した。見た目は毒々しい色だが、ココナッツミルクと米粉でできたチェンドルは意外においしい。赤道直下の日差しの下を歩く際はうってつけのスイーツだ。
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この通りは、かつてオランダが統治していた時代に身分の高い紳士たちが暮らし、オランダ語で〝紳士(ヒーレン)〟を意味するヒーレン通りと呼ばれていた。もう一つの別名は「億万長者通り」。文字通り事業に成功して財を築いた多くのプラナカンが暮らしているからである。
プラナカンが暮らすショップハウスは、日本の京町家に見られる「うなぎの寝床」と同様に、間口が狭く、奥に長い。これはオランダ統治時代に間口の幅で税金が決まっていた名残だが、長さ100メートルを超える建物もあることに驚かされた。
マラッカでプラナカン文化に触れ、好奇心を刺激された私はもっとプラナカンのことを知りたくなった。
文・写真/関根虎洸
【マラッカ海峡 プラナカンの町へ②】「東洋の真珠」と呼ばれる島 ペナンへ続く(2/20公開)
プロフィール
せきね・ここう
1968年、埼玉県生まれ。フリーカメラマン。元プロボクサー。著書に『遊廓に泊まる』(新潮社)、『桐谷健太写真集・CHELSEA』(ワニブックス)ほか
🖋プラナカンとは
主に15世紀後半からマレー半島にやってきた南部中国系移民と現地マレー人女性の間に生まれた子孫のこと。インド系やユーラシア系のプラナカンも存在し、現地マレー人女性とマレー系以外の外国人男性との間に生まれた子孫の総称を意味している。マレー語とインドネシア語で子どもや子孫を意味する「anak」を語源とするプラナカンは、マレー語で「この土地で生まれた」を意味し、英語で"Bornhere"と訳される。
【旅のインフォメーション】
交通:羽田からクアラルンプールまで約7時間30分。クアラルンプールからマラッカまで高速バスで2時間
時差:日本より1時間遅れ
ビザ:観光や商用目的での90日以内の滞在は不要
通貨:リンギット(RM)。1リンギット=約35円(2024年10月現在)
気候:平均気温は約27度と、高温多湿の南国の気候
問い合わせ: マレーシア政府観光局
(出典:「旅行読売」2024年12月号)
(Web掲載:2025年2月19日)