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「ニッポン画家(山本太郎)と訪ねる江戸時代の美」

場所
> 京都市
「ニッポン画家(山本太郎)と訪ねる江戸時代の美」

下鴨神社の祭神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は文化を残し、文化を守る神様でもあるという

 

町衆から生まれた芸術、琳派と浮世絵

戦乱の世が終わり、政治が江戸に移った後も文化の中心は京都にあった。その一つが上級町衆から生まれた芸術の流派、「琳派(りんぱ)」だ。江戸時代初期、絵師として活躍した俵屋宗達(たわらやそうたつ)や、文化人として名を馳せた本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)によって礎が築かれ、宗達を私淑する天才絵師・尾形光琳(おがたこうりん)によって大成したといわれる。

光琳の代表作である国宝「紅白梅図屏風」は、左京区の下鴨神社の梅がモデルになったと伝わる。境内の御手洗池に掛かる輪橋(そりはし)のたもとに咲く紅梅は「光琳の梅」と呼ばれ、朱塗りの欄干(らんかん)に枝を広げた姿は日本の美そのもの。光琳の創作意欲を大いに掻き立てたに違いない。

東山区の養源院には、宗達の傑作が残されている。豊臣秀吉の側室、淀殿(よどどの)が父・浅井長政の供養のため二十一回忌に建立した寺で、その後火災で焼失したが、淀殿の妹で二代将軍徳川秀忠の正室であるお江(ごう)が再建した。有名な外廊下の「血天井」は、伏見城の戦いで自刃(じじん)した徳川家臣の血に染まった廊下だ。本堂の玄関の「唐獅子」、廊下の向こうの「白象」の杉戸絵は宗達作。獅子は文殊菩薩の乗り物、象は普賢菩薩の乗り物だと考えられており、「血天井」を釈迦如来にとらえ、本堂は釈迦三尊像の空間になっているという。特別な期間のみ一般公開される松の間には、宗達が描いた唯一の襖絵「岩に老松図」があり、宗達ならではの独創的な筆遣いは、ぜひ一目見ておきたいところ。

養源院の杉戸絵に描かれた「白象」。表情豊かで、どこかユーモラス
宗達が描いた「岩に老松図」。金箔地にうねるように延びる緑の松と岩が特徴的

江戸時代に花咲いたもう一つの芸術が「浮世絵」だ。儚い世の中なら、浮かれて暮らそうという風潮から生まれたといわれる。浮世絵の題材は「美人画」「花鳥画」「名所絵」へと移り、多色刷りの錦絵へと進化すると、歌舞伎人気と相まって「役者絵」「歌舞伎絵」へと広がっていった。京都芸術大学では第二代学長・大江直吉が寄贈した、豊原国周(とよはらくにちか)の膨大な浮世絵版画を所蔵。国周は幕末から明治にかけて人気を博した浮世絵師で、なかでも役者絵を得意としていた。これらコレクションの一部は学内にある芸術館で鑑賞できる。

京都芸術大学では役者絵を得意とした豊原国周のコレクションを所蔵

現代にも浮世絵の文化を伝えているのが、1891年に創業した芸艸堂(うんそうどう)。日本で唯一の手摺木版(てすりもくはん)本を刊行する出版社だ。江戸時代から現代までの版木を多数所蔵し、熟練の技で数々の名作を継承する。多色摺り図案集のモチーフをアレンジした木版商品や文具、和雑貨などを制作。併設するショップでも販売しており、京みやげとしても人気が高い。

いまもなお手摺木版本を刊行する芸艸堂。併設のショップには限定商品も

京都浪漫・悠久の物語「ニッポン画家(山本太郎)と訪ねる江戸時代の美」
2025年3月10日(月)よる8時~8時53分 BS11にて放送

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(Web掲載:2025年3月4日)


Writer

旅行読売出版社 メディアプロモーション部 さん

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