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【新・日本の絶景】世界遺産の島を周遊し、上陸!軍艦島(端島)

場所
> 長崎市
【新・日本の絶景】世界遺産の島を周遊し、上陸!軍艦島(端島)

「戦艦土佐」のシルエットと島の形状が似ていることから、軍艦島の通称が生まれた

明治~昭和期に海底炭鉱で栄えた過去への時間旅行

西からの季節風が吹きつける時期なのに、東シナ海は奇跡的に凪(な)いでいた。軍艦島に上陸するには厳しく設定された気象条件をクリアしなければならないが、絶好の上陸日和だった。「でも、荒れた海の軍艦島も、それはそれで見ものなのですよ」と「軍艦島コンシェルジュ」の佐藤義太郎さんが教えてくれる。大波が護岸に打ちつけると白い波しぶきが上がり、巨大な軍艦が進撃しているかのような絶景なのだという。

長崎港の南西約20キロに位置する軍艦島の正式名称は端島(はしま)。明治~昭和期に海底炭鉱で栄えたが現在は無人島で、建造物だけが残る。島は市南部の高浜海水浴場などから遠望できるが、間近に眺めるなら船会社の運航する上陸ツアーがいい。長崎港にある「軍艦島デジタルミュージアム」の見学がセットになった「軍艦島コンシェルジュ」の上陸ツアーに参加すると、この島を舞台にしたテレビドラマ「海に眠るダイヤモンド」の影響か、満席だった。

長崎港常盤桟橋を出港して約45分。観光船ジュピターは島の西側へと回り込み、動きを止めた。絶好のビューポイントで、 軍艦島らしい景色が見られる。〝舳先(へさき)〟から〝船尾〟まで約480メートル。今にも崩れ落ちそうな建物の様子もよく分かる。かつての炭鉱夫たちのアパートや採掘施設、学校や病院が林立した小都市だ。

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軍艦島コンシェルジュの観光船は上陸前に島の周りをゆっくりと周遊する

海上からしばらく眺めを楽しんだ後、船はドルフィン桟橋へ。上陸すると、かろうじて原形をとどめる建物の周りに瓦礫(がれき)が散乱していた。整備された観光ルートのほかは立ち入り禁止となっている。1960年にはわずか6.3ヘクタールの島におよそ5300人が住み、人口密度は世界一だったと言われる。炭鉱夫の給料は本土の公務員の1.5倍~2倍で、最先端の家電も手に入れたとか。

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上陸後はツアーガイドがにぎわった炭鉱都市の歴史を説明してくれる。「端島炭坑」は2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ

ツアーガイドが1枚の写真をかざし、「ここは牢屋ですが、ほとんど使われたことがありません」と言った。「酒の上で多少の喧嘩はあったようですが、みんな仲が良かったのです」と佐藤さんの解説。テレビドラマで耳にした「一島一家」という言葉が思い浮かんだ。人々は狭いアパートに住みながらも、豊かで安全なユートピアを実現していたのだ。島の歴史は、最先端映像技術を駆使した「軍艦島デジタルミュージアム」で、乗船前後にじっくり学びたい。

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軍艦島デジタルミュージアムでは当時の再現映像や現在の空撮映像も見られる

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元島民ガイドの木下稔さん

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ミュージアムのカフェメニュー「ブラックダイヤモンド アフォガート」605円

炭鉱が閉山して50年。崩壊寸前の建物は、次の嵐で姿を消してもおかしくない。今のこの島の絶景と、かつて豊かな暮らしを享受していた島民の記憶を、心に刻んでおきたい。

文/太田正行


軍艦島コンシェルジュ【ベストシーズン】通年

営業:軍艦島上陸ツアーは10時30分発、13時40分発。軍艦島デジタルミュージアムは9時~16時30分
金額:軍艦島上陸ツアー5000円~(4月以降は5500円~)
交通:長崎電気軌道長崎駅前停留場から7分、新地中華街停留場乗り換え7分、大浦天主堂停留場下車すぐ/長崎道長崎ICから5キロ
住所:長崎市松が枝町5-6(乗船受付場所の軍艦島デジタルミュージアム)
問い合わせ:TEL095-895-9300

※記載内容は掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2025年2月号)
(Web掲載:2025年5月11日)


Writer

太田正行 さん

1959年生まれ。フリーランスのライターとして旅行ものなどを手がける。中央大学時代にサハラ砂漠でラクダを一頭買い、単独行で砂漠を約500km旅した経験を持つ。40歳代後半に農産物直売の会社を設立。独自のシステムを作り、時間にゆとりができた現在は、各方面に活動の範囲を広げている。

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