【ひなびた温泉】そこは知る人ぞ知る〝住宅街の秘湯〞 大和温泉<長野・上諏訪温泉>

タイルの床にステンレス製の湯船のミスマッチな組み合わせがまた、この忘れがたい〝住宅街の秘湯〟の個性となっている。イキのいい硫黄泉っていうのは設備を傷めやすいんですね。だから傷まないステンレス製の湯船にしたのだという。つまり、この湯船はいい湯の証しなのである
プロフィール
岩本薫(いわもとかおる)
1963年東京生まれ。温泉研究家、作家、エッセイスト。温泉研究家といってもひなびた温泉にしか興味がない偏愛志向。主な著書に『もう、ひなびた温泉しか愛せない』『つげ義春が夢見た、ひなびた温泉の甘美な世界』『ヘンな名湯』『もっとヘンな名湯』(以上、みらいパブリッシング)『ひなびた温泉パラダイス』(山と溪谷社)等。メディアにも多数出演。ひなびた温泉マニアのグループ「ひなびた温泉研究所」のショチョーでもある。
地元の人か温泉マニアしか知らない秘湯へ
秘湯とはなにか? まぁ、問うまでもないですね。交通の便の悪い山奥とかに人知れずひっそりと湧いている温泉といったところでしょうか。でもね。秘湯って山奥だけじゃないんですよ。え? 山奥だけじゃないならどこにあるのよ? ふふふ。住宅街の中にも人知れずひっそりと湧いている秘湯があるんだなぁ。長野県の上諏訪(かみすわ)の住宅街。ここに大和(やまと)温泉という、地元の人か温泉マニアしか知らないような知る人ぞ知る温泉があるのだ。
JR上諏訪駅から15分ほど歩いたところにある三差路に、なんとも味わい深い洋風木造建築が目を引く平(ひら)温泉という共同浴場がある。ここ、実は映画「テルマエ・ロマエⅡ」で阿部寛演じるルシウスがタイムスリップして、巡業中の相撲取りたちが疲れを癒やしていたシーンに登場した、あの浴場だったりするのだけど、その三差路を右に入った住宅街に大和温泉がある。といっても、大和温泉について前情報を持たない人は、まずたどり着けないだろう。
それというのも、大和温泉は通りに向けて看板を出しているものの、めっちゃ控えめで、しかもその入り口がどう見てもフツーの民家の庭に入っていくような通路にしか見えない。ホラ、よくあるじゃないですか。家が密集した下町の住宅街の、隣の家との間にある、人ひとり通るのがやっとの、庭に通じる狭い通路みたいなの。フツーだったらそんなところズカズカ入っていかないでしょ? 住居侵入になっちゃいますからねぇ。まさにソレなんですよ。大和温泉の入り口は。知らない人はたどり着けない〝住宅街の秘湯〞たるゆえんは、そこにあるわけで。
ここが大和温泉の入り口だ。看板があってもちょっと入りにくい
めっけもん度がめっちゃ高い極上湯!
そして大和温泉が秘湯であるというゆえんはそれだけじゃない。湯が極上湯なのだ。やっぱりねぇ、秘湯たるもの湯がよくなくちゃ、ですからねぇ。ここは大きなポイントだ。
まるで人の家の庭に入っていくような入りにくい通路を抜けるとまさに庭に出る。ええ? やっぱりここ、人ん家(ち)じゃんと思わずにいられないけれども、そこで後ろを振り返ってみよう。ご安心あれ、ホラ、ちゃんと受付があるでしょ。ここで入浴料を払ってくださいね。
なんだか秘密基地めいた大和温泉の独特な存在感にワクワクしながら浴室に入ると、タイル貼りの床にあまりほかでは見ないような細長いステンレス製の湯船がある。湯はうっすらとグリーンがかった美しい湯。そして、芳しいタマゴ臭が鼻腔をくすぐる。え?ここは硫黄泉なの?と、軽く驚きながら湯につかってみると、あんらまぁ、ツルツルスベスベの気持ちいい浴感。極上湯じゃないですか!
あ、ワタクシがなぜ軽く驚いたのかって?そうそう、だって、上諏訪地域をはじめ、ここらへんの温泉はだいたいが無味無臭の単純温泉だったりするんです。まさかこんなフツーの住宅街の中で極上の硫黄泉に出会えるなんて思ってもみなかったわけで、これはめっけもん度がめっちゃ高いなぁ。
なぜかここだけ硫黄泉というフシギ
受付にいらっしゃったちょっとダンディーなご主人が教えてくれたところによると、もともとここはご主人のおじいさんが明治時代に温泉付きの土地を買って家を建て、自宅のお風呂として使っていて、大正時代に共同浴場として改築。大和温泉がまるで人ん家みたいなのは、本当に人ん家だったからなんですね。で、ここからが本題なんだけど、その頃の泉質は周りと同じ単純温泉だったのだという。しかしその源泉は枯れてしまい、約40年前に新たに掘り当てた源泉が今の硫黄泉なのである、と。
お風呂用のイスなど、大和温泉にはご主人手製のモノが至るところにある
上諏訪って実は温泉的にスゴいエリアだったりして、なんと源泉が500もある街なんですよ。地質的にもここらへんって、太古の昔に二つだった日本列島が合体したフォッサマグナ(中央地溝帯)の上にあたるので、たぶん温泉の通り道でもある断層が複雑に入り組んでいるんでしょうね。だから、同じエリアでもちょっと違うところを掘ったらまったく違う源泉が出てきちゃうなんていうフシギなことが起きるわけで、いやぁ、温泉って奥深いですよねぇ。
住宅街の中でひっそりと湧く極上湯。しかもその湯にはそんなヒミツがあった。う〜んやっぱり大和温泉は秘湯と呼ぶのにふさわしいなぁ。
文・写真/岩本 薫
♨今月のひなびた温泉
大和温泉<長野・上諏訪温泉>
◎営業:7時〜22時/無休
◎料金:500円(諏訪市住民は300円)
◎泉質:単純硫黄泉(アルカリ性低張性高温泉)
◎アクセス:中央線上諏訪駅より徒歩15分/中央道諏訪ICより国道20号経由5キロ
◎住所:長野県諏訪市小和田17-5
◎TEL:0266-52-3659
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2025年3月号)
(Web掲載:2025年7月1日)