たびよみ

旅の魅力を発信する
メディアサイト
menu

【伊東潤の 英雄たちを旅する】第14回 武田信玄と甲府

場所
> 甲府市
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第14回 武田信玄と甲府

武田神社の拝殿(写真/甲府市観光協会)

伊東潤(400)プロフィール.jpg

プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。


武田信玄といえば甲府、甲府といえば武田信玄

武田信玄といえば甲府、甲府といえば武田信玄というくらい、信玄は甲府の誇りであり、象徴だろう。だが信玄は天下を取ったわけではない。それでもなお戦国時代を代表する存在とされるのは、その軍略がほかの大名たちに秀で、上杉謙信との5度にわたる川中島の戦いが、戦国時代の象徴のような合戦だからだろう。

しかしそれだけではない。信玄は「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇(あだ)は敵なり」と言ったとされる。これは「人は城であり、石垣であり、堀である。情けをかければ味方となり、害すれば敵となる」という意味だが、信玄は家臣や国人のためを思い、道を整備し、川の氾濫を防ぎ、金山を開発し、城下町を整えた。すなわち信玄は領民を大切にしてきたからこそ、今でも慕われているのだ。

そんな信玄の本拠地・躑躅(つつじ)ヶ崎館(さきやかた)は、南西に向かって緩やかに傾斜する甲府盆地の北の隅にあった。信玄の父の信虎によって築かれたこの方形居館は、信虎―信玄―勝頼と続く武田3代の本拠というだけでなく、家臣団屋敷群と商人たちの根小屋が一体化した戦国城下町の形態を今に伝えている。館はJR甲府駅から徒歩30分の距離だが、城下町の雰囲気を知るためにもぜひ歩いてほしい。

現在、館跡には武田神社が鎮座している。信玄を祀(まつ)っているこの神社は「勝運」のご利益があることでも有名で、県内はもちろん近県からも多くの人がやってきている。宝物殿には、甲冑(かっちゅう)や軍扇(ぐんせん)など武田氏ゆかりの品々が収蔵されているので必見だ。

メイン左 武田神社 正面東よりその2 R3.6.21撮影.jpg
武田氏3代の居館、躑躅ヶ崎館の跡地に立つ武田神社は、武田信玄を祭神として祀る(写真/武田神社)

信玄公墓.JPG
武田信玄公墓所(火葬塚)。武田神社の近くにある(写真/甲府市観光協会)

私のおすすめは、武田神社承認のボランティアガイドである「躑躅ヶ崎歴史案内隊」にガイドをお願いすることだ。甲冑姿でいかめしいが、館内を優しく案内してくれる。ただし活動は晴天の土・日曜、祝日が中心になるので注意していただきたい。

DSC01541.jpg
武田神社を無料で案内してくれる躑躅ヶ崎歴史案内隊。登場日時はXで告知している

館の近くには、2019年に創設された「甲府市武田氏館跡歴史館」がある。ここは武田氏3代の歴史を分かりやすく教えてくれる常設展だけでなく、様々なテーマを決めて武田氏関連の遺物や史料を展示する企画展が素晴らしい。

信玄ミュージアム外観.jpg
甲府市武田氏館跡歴史館は信玄ミュージアムや食事処、売店などからなる

甲府の歴史をさらに知るために行っていただきたいのが舞鶴城公園だ。こちらは甲府城の跡地に造られた公園で、JR甲府駅から徒歩3分というアクセスのよさだ。桜の名所としても有名で、富士山を借景とした桜は見応えがある。ただしこの城は戦国時代の遺構ではなく、江戸時代に造られたもので、幕末、甲陽鎮撫(こうようちんぶ)隊となった新選組が入城寸前で板垣退助率いる官軍に先を越されてしまった痛恨の城でもある。また甲府駅から徒歩1分の距離にある甲州夢小路は、明治時代の甲府の町を再現したレトロな町で、お洒落(しゃれ)な店舗が軒を連ねている。

左下1.jpg
武田氏滅亡後に築かれた甲府城跡にある舞鶴城公園

甲府に泊まるなら「信玄の湯」と呼ばれる湯村温泉がおすすめだ。こちらは源泉かけ流しの温泉で、温泉マニアの間でも人気がある。

「信玄の湯」につかりながら、天下に覇を唱えようとした信玄に思いを馳(は)せていただきたい。

文/伊東 潤

写真協力/やまなし観光推進機構

右下.jpg
甲府駅南口の駅前に立つ武田信玄公像

英雄メモ🖋

武田信玄(たけだしんげん)[1521 ~1573]

戦国時代の武将。名は晴信(はるのぶ)。父の信虎を追放して甲斐(かい)国守護となり、今川・北条氏と甲相駿(こうそうしゅん)三国同盟を結び、信濃(しなの)に侵攻して越後の上杉謙信と川中島の戦いを繰り広げた。その後、駿河(するが)に攻め入って支配下に置き、徳川家康を三方(みかた)ヶ原の戦いで破って遠江(とおとうみ)、飛騨、美濃、北関東の一部まで治める戦国大名になった。上洛のため西を目指していたが、三河侵攻中に陣中で没した。軍事面だけでなく、治水事業や金山開発などで富国強兵に務めた。


[武田神社への交通]
中央線・身延線甲府駅から徒歩30分

[観光の問い合わせ]
TEL:055-226-6550(甲府市観光協会)

(出典:「旅行読売」2024年3月号)
(Web掲載:2025年7月17日)


Related stories

関連記事

Related tours

この記事を見た人はこんなツアーを見ています