【伊東潤の 英雄たちを旅する】第13回 前田利家と金沢

金沢城公園のシンボル、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓。明治以降に建てられた木造城郭建築物としては国内最大規模
プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。
徳川宗家を除けば全国一の石高を誇る大名だった「加賀前田家」
「加賀百万石」の城下町として知られる金沢は、昔の佇(たたず)まいを今に残す魅力あふれる町だ。
その金沢を本拠としていた加賀前田家は、徳川宗家を除けば全国一の石高(こくだか)を誇る大名だった。しかし本(もと)を正せば、始祖の利家は豊臣秀吉の親友で、秀吉が家康に対抗させるために過分な石高を下賜されたという経緯がある。そのため関ヶ原の戦いの前、利家の息子の利長は家康の第一のターゲットとなり、侵攻寸前まで追い込まれた。それでも利家の妻の芳春院(ほうしゅんいん<まつ>)が人質として江戸に赴いたことで、すんでのところで滅亡を免れた。利家の武骨で愚直、戦いとなれば勇猛果敢なイメージとは裏腹に、前田家はこうした幸運にも恵まれた大名だった。
しかし百万石を260年にわたって維持するのは至難の業で、徳川家との度重なる縁組によって密な血縁関係を築き、徳川家から派遣された本多政重(まさしげ)の系統を筆頭家老に据えるといった平身低頭外交の末、何とか明治維新にたどり着いた感がある。それでもそうした努力が実り、金沢は多くの歴史・文化遺産を今に伝えることができた。
金沢に行ったら金沢城は外せない。加賀百万石を象徴する金沢城だが、2001年に復元が成った五十間(ごじゅっけん)長屋の大きさと美しさには啞然(あぜん)とする。この多門櫓(たもんやぐら)は1881( 明治14)年の火災で焼失しなければ、世界一の木造建築物として世界遺産の登録間違いなしだったと言われている。
御殿があった二の丸の正門にあたる橋爪門
金沢城公園に隣接している兼六園(けんろくえん)の美しさも、筆舌に尽くし難い。水戸の偕楽園(かいらくえん)と岡山の後楽園(こうらくえん)と並ぶ日本三名園の一つとされるこの大名庭園では、四季折々の花々や木々の織り成す風情が心ゆくまで楽しめる。
兼六園の雪吊りは、雪害から樹木を守るための冬の風物詩
金沢21世紀美術館も必見だ。この施設が金沢城と兼六園に隣接していることで、歴史や伝統が現代を経て未来へとつながっていくというコンセプトで、金沢市が町作りを進めていることが分かってくる。ここは世界各国の現代美術を収蔵した美術館で、レアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」はとくに有名だ。
私は外資系企業に長らく勤めていたので、海外の美術館に足を運ぶ機会が多かった。そんな私でも、金沢21世紀美術館の外観も展示品の数々も出色だと思う。こうした世界に誇れる施設がある限り、今後の美術界を背負って立つ人材も出てくることだろう。その人が金沢出身だったら、なおさら素晴らしいことだ。
空間を作品化した現代美術などを収蔵する金沢21 世紀美術館
ひがし茶屋街も金沢の文化を代表する一つだ。ここでは、かつて茶屋街として賑わった町並みが保存され、外国人にも人気のスポットとなっている。これはリノベーション技術の発達に伴って実現したもので、まさに「歴史と文化を未来に残していく」ことの大切さを痛感させられる。
リノベーションされた町家に土産店や飲食店が入るひがし茶屋街
今年の夏、久しぶりに金沢に行くことができた。金沢21世紀美術館にも初めて入ったが、金沢市が歴史と未来の懸け橋となる場所を作ろうとしていることが、よく分かった。こうした町作りには、たいへん好感が持てる。
文/伊東 潤
写真協力/金沢市
金沢駅のシンボル鼓(つづみ)門。2024年の北陸新幹線敦賀延伸で再注目される金沢
英雄メモ🖋
前田利家(まえだとしいえ)[1538頃~1599]
安土桃山時代の武将。加賀前田家初代当主。尾張国に生まれ、1551(天文20)年頃、織田信長に仕え、桶狭間、姉川、長篠の戦いなどに従軍して戦功をあげた。若い頃は武勇を誇り、「槍の又左衛門」の異名をとった。本能寺の変後、賤ケ岳の戦いでは、柴田氏を離れて羽柴秀吉につき、勝利の後、加賀の金沢城へ移った。後に五大老の一人となり、秀吉没後はその子の秀頼を補佐して徳川家康との調整役を担った。
[金沢城公園への交通]
金沢駅東口から循環バス15 分、兼六園下・金沢城下車徒歩2分
[観光の問い合わせ]
TEL:076-232-6200(金沢駅観光案内所)