【伊東潤の 英雄たちを旅する】第12回 藤原道長と京都

平等院鳳凰堂は、平安時代後期の1053(天喜元)年、藤原道長の子、頼通によって建立された阿弥陀堂。藤原摂関時代をしのぶことができる貴重な遺構として国宝に指定(写真提供/平等院)
プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。
藤原道長の人生は、欠けることのない月のようだった
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
これは絶頂期の藤原道長(ふじわらのみちなが)が詠んだとされる歌だが、彼の人生は、まさに欠けることのない月のようだった。
966(康保3)年、摂政関白(せっしょうかんぱく)の藤原兼家の五男として生まれた道長は、兄たちが相次いで死去したことで家督を継承する。その後も権力争いは続くものの、道長は勝ち抜き、遂にこの世の栄華を独り占めする。その後、62歳で死去するまで、望月が欠けることはなかった。
道長が住んでいた土御門(つちみかど)邸は、今は跡形もないが、京都御苑の京都仙洞御所(せんとうごしょ<上皇の御所>)の北側に跡地を示す駒札が立っている。周囲は庭園で、京都の四季が楽しめる。
仙洞御所まで行ったら隣接する京都御所にも行ってほしい。現在の御所は江戸時代の造営だが、紫宸殿(ししんでん)や清涼殿(せいりょうでん)など平安時代の佇(たたず)まいを残しているので、道長の時代に思いを馳(は)せるには恰好の場所だ。
京都仙洞御所の見学は係員が案内するツアー形式で、定員制の事前申し込みと当日申し込みで受付。仙洞御所は退位した天皇(上皇・法皇)の御所で、現在の上皇の仙洞御所は赤坂御所(写真提供/宮内庁)
明治2年まで歴代天皇が暮らした京都御所は一般公開されている。写真は正殿に当たる紫宸殿(ししんでん)(写真提供/宮内庁)
この時代の人々に共通しているのが敬虔(けいけん)な信仰心だ。道長もその例に漏れず、藤原氏の氏寺である法性寺(ほっしょうじ)の境内に五大明王を安置する五大堂を建立した。しかし法性寺は度重なる罹災によって道長時代の建築物は焼失し、不動明王一体が現存するだけとなった。現在、この像は東福寺塔頭(たっちゅう)の同聚(どうじゅ)院に安置されている。
現在の法性寺は再興されたものだが、本堂に安置される千手観音菩薩像は、旧法性寺の潅頂(かんちょう)堂にあったもので、道長も見ていた可能性が高い。
道長が死去した場所は、自邸ではなく自らが建てた法成寺(ほうじょうじ)の阿弥陀堂だった。法成寺は鎌倉時代末期に廃絶となったため、今は御苑の東に法成寺跡の石塔と説明板が立っている。
道長の墓は、藤原氏の陵墓が多い宇治の地にある宇治陵32号墳の可能性が高いとされている。近くには、藤原氏の先祖が眠る宇治陵の荒廃を嘆いた道長によって建立された浄妙寺跡もある。こちらも室町時代に廃寺となり、今は標柱を残すのみだ。
また道長と同時代を生きた紫式部が『源氏物語』を書いたという上京区の蘆山寺(ろざんじ)は、現在も続いており、京都らしい上品な佇まいを見せている。
『源氏物語』と言えば、宇治の源氏物語ミュージアムは外せない。模型や映像によって華麗なる王朝絵巻が再現され、まさに平安京にいるような錯覚に囚われる。
宇治川にかかる宇治橋のたもとにある紫式部像
宇治を流れる宇治川を鵜飼(うか)いの舟が進む。鵜を使って川魚を獲る伝統的な漁法である鵜飼いは、平安時代から行われていた夏の風物詩
宇治まで行ったら鳳凰堂(ほうおうどう)の名で知られる平等院は必見だ。ここは道長の別荘を、息子の頼通(よりみち)が寺院としたもので、平安貴族が建立した寺院が、建築物、仏像、壁画、庭園まで現存するという点で唯一の史跡となる。
また平安時代の雰囲気に浸れる場所としては、下京区にある風俗博物館がおすすめだ。こちらは『源氏物語』の世界を、寝殿の模型と人形によって4分の1のスケールで再現している。
2024年のNHK大河ドラマは紫式部を主人公にした「光る君へ」だ。当然、道長の出番も多くなるだろう。制作陣がどんな道長を造形するのか、今から楽しみだ。
文/伊東 潤
英雄メモ🖋
藤原道長(ふじわらのみちなが)[966 ~1027]
平安中期の公卿(くぎょう)。摂関・藤原兼家の五男。兄の道隆・道兼の死後、道隆の子の伊周(これちか)と争うが、天皇の生母である姉の詮子(あきこ)らの補佐によって右大臣・左大臣となり、政権の首座についた。娘3人を入内(にゅうだい)させ、天皇3代の外戚として藤原氏の全盛時代を築いた。外孫である後一条天皇時代に摂政になった後は子の頼通(よりみち)に地位を譲り、晩年は出家して法成寺(ほうじょうじ)を造営。御堂関白と称され、日記『御堂関白記』を記した。
[京都御苑への交通]
東海道新幹線京都駅から地下鉄烏丸線10分、今出川駅下車徒歩5 分
[観光の問い合わせ]
TEL:075-343-0548(京都総合観光案内所)
TEL:0774-23-3353(宇治市観光協会)
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年1月号)
(Web掲載:2025年5月8日)