たびよみ

旅の魅力を発信する
メディアサイト
menu

【伊東潤の 英雄たちを旅する】第18回 水戸光圀と水戸

場所
> 水戸市
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第18回 水戸光圀と水戸

2020年に復元された水戸城の大手門は高さ約13メートル、幅約17メートルの巨大な櫓門(やぐらもん)

伊東潤(400)プロフィール.jpg

プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

水戸藩の2代藩主、徳川家康の孫の水戸光圀

都道府県の魅力度ランキングというものがある。様々な人にアンケートを募り、47都道府県の魅力度を比較し、毎年発表するという試みだ。1位の北海道、2位の京都、3位の沖縄と聞けば、至極順当だと思うだろう。しかしここに46〜47位をさまよう県がある。それが茨城県だ。

私の場合、講演や取材で何度も茨城県を訪れていることもあり、観光という面だけ取り上げても、茨城県は他県と比べて何ら遜色がないと思う。だが、なぜか人気は低い。

そんな茨城県の県庁所在地となる水戸市には、かつての徳川御三家の一つ水戸藩が置かれていた。水戸藩と言えば水戸光圀(みとみつくに)を連想する方が多いと思うが、それだけテレビドラマ「水戸黄門(こうもん)」の影響が大きいからだろう。番組は、格さんと助さんを従えた黄門様が諸国を漫遊し、悪漢を退治するという内容だが、実はそのような事実はなく、せいぜい水戸藩の領内を巡視し、庶民の声に耳を傾けた程度だという。

水戸光圀(徳川光圀の通称)は水戸藩の2代藩主で、徳川家康の孫にあたる。若い頃から聡明で、藩主時代には多くの改革を行い、政治家として辣腕(らつわん)を振るった。それだけでなく、学問好きの藩主としても多くの事績を残している。特に有名なのは、歴史書『大日本史』の編纂事業だろう。この大事業によって、皇国史観は醸成されたと言ってもよい。それは水戸学へと昇華され、尊王攘夷(そんのうじょうい)思想の理論的根拠となっていく。

そんな光圀が愛した水戸には、多くの観光地がある。

その中心となる水戸城には、模擬天守がないため城としてのイメージが湧かない人もいるかもしれないが、数年前に大手門や二の丸角櫓(すみやぐら)が復元され、見どころが多くなっている。そんな中、一番の見どころは、藩士教育の行われていた弘道館(こうどうかん)だろう。戦火を免れた正門、正庁、至善堂(しぜんどう)は国の重要文化財に指定されている。

4 弘道館正庁.jpg
江戸後期に9代藩主徳川斉昭が設立した藩校の弘道館

水戸城のすぐ西にある千波湖(せんばこ)には遊歩道が整備されており、四季の風景を楽しみながら湖畔を一周できる。

5 千波湖空撮.jpg
周囲約3キロの千波湖。周辺の千波公園や偕楽園は市民の憩いの場だ

2黄門像(千波湖).JPG
千波湖畔に立つ徳川光圀公像

水戸市で最も有名な観光地は千波湖畔にある偕楽園(かいらくえん)だろう。この日本三名園の一つに数えられる公園は、9代藩主の徳川斉昭(なりあき)によって造園された。その名には「武士も民も共に楽しむ」という意味が込められており、武士から領民に至るまで、教育事業に力を注いだ斉昭の思いが込められた場所だ。偕楽園の中には旧茂木(もぎ)家住宅という江戸時代中期の農家が移築されており、斉昭の別荘「好文亭(こうぶんてい)」とともに、歴史や民俗の好きな方は必見だ。

3(右下) 偕楽園(梅まつり).png
約100 品種3000本の梅の花が咲く偕楽園では、毎年2月~3月に梅まつりを開催。期間中は臨時駅も開設される

また斉昭の死後、その尊王攘夷思想の具現化を目指して決起した水戸藩天狗(てんぐ)党を忘れてはならない。回天(かいてん)神社・回天館は、そんな天狗党の志士たちの魂が眠る慰霊の場だ。ここには福井県の敦賀(つるが)で処刑される前に閉じ込められていた鰊蔵(にしんぐら)が移築され、またその外には、800を超える慰霊碑(水戸殉難志士の墓)が立っている。水戸に行ったら、国家のために死んでいった彼らの熱き思いを知ってほしい。

文/伊東 潤

写真協力/水戸観光コンベンション協会

6 回天神社.jpg
桜田門外の変や天狗党の乱など国事に殉じた水戸藩士らを祀る回天神社

英雄メモ🖋

徳川光圀(とくがわみつくに)[1628 ~ 1700]

徳川御三家の一つ、水戸藩2代藩主。家康の子、初代藩主の頼房の三男として水戸に生まれる。儒学を奨励し、歴史書『大日本史』を編纂し、修史事業のために全国から学者を招いた。ここでの学風が、後に尊王論を中核とする水戸学の基礎になったとされる。また神仏分離を推進して寺社を保護し、文化財の保存や勧農策の実施など藩政に尽力した。史書を探求旅行した史実が核となって漫遊記などの物語が生まれた。官位の中納言の唐名「黄門」から後世、講談師らによって「水戸黄門」として伝説化された。


[弘道館への交通]
常磐線水戸駅から徒歩10 分
[観光の問い合わせ]
TEL:029-224-0441(水戸観光コンベンション協会)

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2024年7月号)
(Web掲載:2025年7月21日)


Related stories

関連記事

Related tours

この記事を見た人はこんなツアーを見ています