【伊東潤の 英雄たちを旅する】第24回 織田信長と近江安土

八幡山城跡から琵琶湖を眺める。八幡山城は、安土城の廃城後、豊臣秀次によって築かれた。現在はロープウェーで上れる
プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。
東西南北の人々が行き来し、産物が通過する交通の要衝“近江国”
かつて近江国(おうみのくに)と呼ばれていた滋賀県には東海道と東山道が通り、畿内(きない)と東国をつないでいた。また北国(ほっこく)街道、北国脇往還、若狭(わかさ)街道などが南北を貫通しており、まさに東西南北の人々が行き来し、産物が通過する交通の要衝だった。
琵琶湖舟運も物流に大きな役割を果たしていた。奥羽地方の米穀(べいこく)を京都や大坂に運ぶ際には、越前の敦賀(つるが)か若狭の小浜(おばま)で荷揚げし、琵琶湖の北岸まで陸路で、そこからは琵琶湖を北から南へと舟で縦断して大津に至り、大津で再び陸路を使い、京都や大坂に運ぶというルートを取った。近江国の6分の1を占める琵琶湖は、まさに国内物流の中心だった。
そんな近江国と琵琶湖の重要性に気付いていたのは、信長が最初ではない。だが信長は、父の信秀が伊勢湾交易網によって莫大な富を築いたことで、早くから交易の利に注目し、室町幕府15代将軍の足利義昭(よしあき)に随伴して上洛(じょうらく)戦を挑む際には、まず琵琶湖南端の大津を手中に収めようと思っていたに違いない。そしてその通りにした。
信長は尾張(おわり)人だが、近江国との関係は深い。貨幣経済の到来に敏感だった尾張人と近江人は、合理的で利害得失を重視する点で似通っていたが、とくに経済感覚の鋭い信長は、近江国が天下制覇の鍵を握ると踏んでいた。そんな信長が渇望した近江国の安土周辺には、信長の関連史跡が数多くある。
尾張国の勝幡城(しょばたっじょう)で生まれた信長は、父の信秀に那古野(なごや)城を預けられた後、自ら清須(きよす)城、小牧山(こまきやま)城、美濃(みの)国の岐阜城、そして近江国の安土城へと本拠を移していった。つまり信長の城の集大成こそ安土城なのだ。
安土城跡の大手道。山頂の天主台に続く石段の横に、伝羽柴秀吉邸跡や伝前田利家邸跡などが並ぶ
安土駅前の織田信長公像
安土城の特徴は「見せる城」だったことで、それは三つの要素から成っていた。
一つ目は、城のある山全体が石垣で覆われていることだ。家臣団屋敷と呼ばれているエリアまで石垣造りなので驚きだ。
二つ目は、建造物のすべてが瓦葺(かわらぶき)だったことだ。石垣の上に載る屋敷がみすぼらしくては、石垣を張りめぐらせた意味がない。そこで信長は、すべての建造物の屋根を瓦葺にした。軒瓦、飾瓦、鯱(しゃち)などには金箔(きんぱく)が貼られ、城下から遠望すると、その絢爛(けんらん)豪華さに圧倒されたに違いない。
三つめは、天主を城の象徴として造ったことだ。櫓(やぐら)の機能を兼ね備えつつ、周囲から仰ぎ見られるような壮麗な高層建築物を造ることにしたのは、信長が「見せる城」を意識していたからにほかならない。この天主は外観五重で内部は七階建てで、それまでの城郭建築の常識を覆したものだった。ただし現在、安土城には石垣しか残っていない。
陶板壁画で描かれた安土城の想像図(安土城郭資料館)
安土には、城のほかにも「安土城郭資料館」「安土城天主 信長の館」「県立安土城考古博物館」「セミナリヨ跡」「浄厳(じょうごん)院」といった信長ゆかりの博物館や名所旧跡が多数ある。
安土に行き、琵琶湖から吹く風に身を委ねつつ、信長の夢に思いを馳(は)せていただきたい。信長の得意と無念が同時に感じられるだろう。
文/伊東 潤
写真協力/安土山保勝会、近江八幡観光物産協会、ピクスタ
セミナリヨ跡伝承地は、信長の庇護(ひご)を受けたイタリア人宣教師が建てた日本初のキリスト教学校跡
安土城築城と同時期に信長が創建した浄土宗寺院の浄厳院
英雄メモ🖋
織田信長(おだのぶなが)[1534 ~ 1582]
戦国・安土桃山時代の武将。戦国三英傑の1人。父信秀の死後、尾張を統一。駿河(するが)の今川義元を桶狭間(おけはざま)で撃破し、次いで三河の徳川家康と同盟を結び、美濃の斎藤氏を攻略して、尾張清洲より岐阜に移った。足利義昭を奉じて上洛したが、不和となって追放し、室町幕府を滅ぼした。姉川の戦いで浅井(あざい) ・朝倉氏を、長篠(ながしの)の戦いで武田氏を破り、1576 年に安土城を築いて畿内を支配した。天下統一を目前に、重臣の明智光秀の謀反(むほん)により京都・本能寺で自害。楽市・楽座や検地などの新政策は豊臣秀吉に継承された。
[安土城跡への交通]
東海道線安土駅から徒歩25 分、またはレンタサイクル10分
[観光の問い合わせ]
TEL:0748-46-4234(安土駅観光案内所)
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2025年1月号)
(Web掲載:2025年10月21日)