【伊東潤の 英雄たちを旅する】第20回 豊臣秀吉と大阪

大阪城公園として整備されている大阪城。現存する櫓(やぐら)や石垣は徳川時代に江戸幕府によって造られたもの
プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。
大阪の象徴と言えば、大阪城とそれを築いた豊臣秀吉
大阪には独特の雰囲気がある。どの地方都市も東京のコピーのような清潔感を漂わせている昨今だが、大阪だけは昭和の頃の雑然とした雰囲気を残している。
そんな大阪の象徴と言えば、大阪城とそれを築いた豊臣秀吉だろう。秀吉の出生地は大阪ではないが、その天真爛漫(てんしんらんまん)な性格から、大阪という町とイメージが見事に一致する。
秀吉は病的なまでの出世欲により、瞬(またた)く間に天下人の座に這(は)い上がっていった。だが万人の頂点に立ちたいという意欲だけがモチベーションなので、どんな世の中にしたいという政治的ビジョンはなかった。言い換えれば、この世のすべてを手に入れたいという欲望が彼を天下人に押し上げた。とくに高貴なものに対する憧憬(どうけい)は強く、軍事力によって絶大な権力を手に入れると、次は権威を手にすべく公家社会の官位を利用し、武家関白政権を築き上げ、さらに文化・芸術面にも進出し、茶の湯や演能の世界にのめり込んでいく。秀吉は死の瞬間まで、そうした欲望の頸木(くびき)からは解き放たれなかったのかもしれない。哀れと言ってしまえばそれまでだが、それが秀吉なのだ。
その欲望の象徴こそ大阪城だろう。桃山時代の贅(ぜい)を尽くしたこの城こそ、天下平定の記念に秀吉が建てたモニュメントだ。信長が大阪から本願寺を退去させた後、本能寺の変をきっかけに天下を取った秀吉は、瀬戸内海舟運を掌握する大阪の地に、豊臣政権の本拠となる城を築いた。
ただし現在われわれが見ている大阪城は1931(昭和6)年に完成した復元天守と呼ばれるもので、徳川期大阪城の天守台の上に、豊臣期大阪城の復興天守を載せた、史実とはほど遠いものになる。
天守閣は昭和初期の1931年、豊臣時代の天守を想像して造られた鉄筋コンクリート構造。国の登録有形文化財
大阪には、史跡関連だけでも見どころが山ほどある。大阪城に隣接する古代の都だった難波宮(なにわのみや)跡は広大な公園となっており、儀式で使用された大極殿(だいごくでん)の基壇が復元されている。近くにある大阪歴史博物館に行くと、難波宮の発掘の歴史だけでなく、大阪の歴史を知ることができる。
戦後に発見された難波宮跡は史跡公園になっている
大阪歴史博物館に再現されている難波宮・大極殿の内部
聖徳太子が建てたと言われる四天王寺も見逃せない。593(推古元)年に創建されて以来、幾多の災害や戦災に見舞われ、法隆寺のように創建当初の建築物は残ってはいないものの、厳密な歴史考証によって再建された五重塔、金堂、講堂、そしてそれらを取り囲む回廊は実に美しい。
聖徳太子が建立したとされる四天王寺は日本最古級の仏教寺院
大阪府内にはほかにも、古代豪族の大伴金村(おおとものかなむら)の墓とされる帝塚山(てづかやま)古墳、美しい庭園と復興天守がある岸和田城、楠木正成(くすのきまさしげ)が鎌倉幕府軍を翻弄(ほんろう)した上赤坂(かみあかさか)城跡や千早(ちはや)城跡、公園として整備されている高槻城などがある。実は史跡の宝庫でもあるのだ。
秀吉の大阪に対する思いは、その辞世の句に表れている
露と落ち露と消えにし我が身かな
難波(なにわ)のことは夢のまた夢
この句は「露のように消えてゆくこの身にとって、( 天下に号令した)大阪のことは、今となっては夢のようだ」という意になる。それだけ秀吉にとって、大阪城での日々は思い出深いものだったのだ。
文/伊東 潤
写真提供:(公財)大阪観光局
大阪城公園内にある明治期創建の豊國(ほうこく)神社は、豊臣秀吉と子の秀頼、弟の秀長を祀(まつ)る。戦時中の金属供出以来の秀吉像は2007年に復元された
英雄メモ🖋
豊臣秀吉(とよとみひでよし)[1537 ~ 1598]
安土桃山時代の武将。織田信長に仕える足軽の子(諸説あり)として尾張国に誕生。初め木下藤吉郎、後に織田家の有力武将となって羽柴秀吉に改名。本能寺の変で信長が倒れると、明智光秀、柴田勝家と争って勝ち、さらに四国や九州征伐を行い、小田原北条氏を滅ぼして天下統一を成し遂げた。1585年、関白となって豊臣姓を賜り、検地・刀狩りなどの新政策で近世封建社会の基礎を築いた。また茶の湯や美術工芸品を愛好し桃山文化に影響を与えた。明征服を目論(もくろ)んで朝鮮に出兵したが、戦局半ばで病没。
[大阪城天守閣への交通]
大阪環状線大阪城公園駅、地下鉄谷町線谷町四丁目駅から徒歩17 分など
[観光の問い合わせ]
TEL:06-6131-4550(大阪コールセンター)
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年9月号)
(Web掲載:2025年7月23日)