【伊東潤の 英雄たちを旅する】第22回 西郷隆盛と鹿児島

城山公園の展望台から錦江湾と桜島、市街地を眺める
プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。
本来の自分とはかけ離れた虚像を演じた西郷
若者たちが自らの立身出世を度外視し、無私の精神で国のために命を散らしていった幕末・維新。人はそんな純粋な時代に魅せられる。中でも西郷隆盛は最も純度の高い人物として、その人気は絶大だ。
明治維新150年となる2018年、NHK大河ドラマが「西郷(せご)どん」になったのは記憶に新しい。このドラマでの西郷は、誰にでも好かれる親しみやすい人物として描かれていた。しかし実際の西郷は感情の起伏が激しく、おおらかというより繊細だった。とくに若い頃は直情径行で、周囲としばしば衝突していた。しかし藩主の島津斉彬(なりあきら)に重用され、その人間力に圧倒されることで、西郷の人生は変わっていく。西郷より19歳も上の斉彬は、藩士や領民を思いやる惻隠(そくいん)の情と西洋文明を積極的に取り入れる開明的な薩摩藩主で、西郷は心酔していた。
斉彬への憧憬(どうけい)から、斉彬のようにならんとした西郷は、本来の自分とはかけ離れた虚像を演じねばならなくなり、最後はその虚像にのみ込まれていく。
明治維新を成功させた後、西郷は政界から身を引いて隠遁(いんとん)生活に入るが、廃藩置県を控えた政府は徳望ある西郷を必要としていた。政府の復帰要請を受け容(い)れた西郷は政府入りするが、幼馴染(おさななじみ)の大久保利通(としみち)らと行き違いが生じ、再び身を引くことになる。その後、西郷は薩摩の若者たちと第二の維新を行おうとする。西南(せいなん)戦争である。だが戦いは思うに任せず、西郷は故郷薩摩の城山(しろやま)で、切腹して果てることになる。
西郷の愛した鹿児島を旅するとしたら、まず西郷が自決した城山に行ってほしい。城山は鹿児島市街の中心部にある標高107メートルの低山だが、その展望台からは、桜島はもとより、晴れた日には霧島や指宿(いぶすき)の開聞岳(かいもんだけ)まで望める。
城山には薩軍の最終本営地となったドン広場、西郷が寝起きした西郷洞窟、その終焉(しゅうえん)地となった「南洲翁(なんしゅうおう)終焉之地」の石碑などがあり、西郷を知る者なら感慨もひとしおだろう。
私学校の幹部たちと最期の5日間を過ごしたと伝わる西郷洞窟
城山から市街地に下っていくと私学校跡がある。西郷は1873(明治6)年の政変で下野した後、島津氏の本拠である鶴丸城(鹿児島城)の一角に学校を作った。それが私学校になる。私学校は西南戦争で激戦地となり、その壁面には多数の弾痕が残っている。
鶴丸城の堀や石垣などの遺構も必見だが、2020年に再建された御楼門(ごろうもん)の美しさは格別だ。また城内の「鹿児島県歴史・美術センター黎明(れいめい)館」では、原始時代から現代までの鹿児島の歴史を知ることができる。
明治初期に焼失した鹿児島城の御楼門が2020年に復元。高さ、幅約20メートルの城門は国内最大級
少し足を延ばすと、明治日本の産業革命遺産・集成館事業を今に伝える尚古集成(しょうこしゅうせい)館や、島津家の別邸兼迎賓館の仙巌園(せんがんえん)もある。庭の借景となる錦江(きんこう)湾と桜島を堪能してほしい。
島津家の博物館の尚古集成館は、一部の建物が世界文化遺産に登録
国の名勝の仙巌園は桜島を借景に大名庭園が広がり、食事処もある
城山を背にし、陸軍大将の制服姿で立つ高さ8メートルの西郷隆盛像の前に出ると、いつも背筋を正される思いがする。その堂々たる姿は、人は常に正しい道を歩まねばならないと教えてくれているような気がする。
文/伊東 潤
写真協力/公益社団法人 鹿児島県観光連盟、鹿児島観光コンベンション協会
没後50年記念に造られた軍装の西郷隆盛像。渋谷「忠犬ハチ公」像と同じ安藤照(てる)が作者。東京・上野公園の犬を連れた銅像も有名
英雄メモ🖋
西郷隆盛(さいごうたかもり)[1828~ 1877]
幕末・明治初期の政治家。「維新の三傑」の一人。薩摩藩第11代藩主の島津斉彬の側近となり、一橋慶喜(よしのぶ)将軍擁立に奮闘するも敗北して幕府の追及を受け、その後、斉彬が病没して絶望し、錦江湾に身投げしたが蘇生。一時奄美(あまみ)大島に身を隠したり、徳之島に流されたりした。召還されて長州征伐で活躍し、薩長同盟を成立させ、倒幕と王政復古に功績を上げた。戊辰(ぼしん)戦争では大総督参謀として江戸城の無血開城を実現。明治政府では参議となり廃藩置県(はいはんちけん)を断行した後、征韓論に敗れて帰郷。西南戦争を起こして新政府軍に敗れ、城山で自刃(じじん)した。
[城山公園への交通]
鹿児島新幹線鹿児島中央駅からバス(カゴシマシティビュー)24分、城山下車すぐ
[観光の問い合わせ]
TEL:099-286-4700(鹿児島観光コンベンション協会)
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年11月号)
(Web掲載:2025年9月11日)