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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第21回 上杉謙信と上越

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  • 国内
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> 上越市
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第21回 上杉謙信と上越

春日山城の本丸からの高田平野の眺め。標高180メートルの春日山の全体に多くの曲輪(くるわ)や堀切が設けられた巨大な山城。日本城郭協会の「日本100名城」、国の史跡(写真/ピクスタ)

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プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

東国の平和を維持すべく東奔西走した上杉謙信

2007年の8月25日から26日に行われた第82回謙信公祭に、甲冑武者(かっちゅうむしゃ)の一人として参加した。この時、俳優でミュージシャンのGackt(ガクト)さんが初めて上杉謙信役で出演したこともあり、20万人に及ぶ観客が上越市の春日山城周辺に集まった。

それまで私は何度か謙信の本拠だった春日山城を訪れていたが、謙信公祭に参加するのは、この時が初めてだった。GacktさんがNHK大河ドラマ「風林火山」に謙信役で出演中ということもあり、たいへんな盛り上がりだったのを覚えている。この時、Gacktさんは謙信公になりきっており、そのパフォーマンスには神々しささえ感じられた。

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毎年8月下旬に開催される謙信公祭

上杉謙信は関東、信州、北陸という広範な戦域で敵と戦い続けた戦国大名だが、東国の平和を維持すべく東奔西走したことでも知られている。すべての戦いが正義とは言い切れないが、頼られたら断れない人のよさもあり、領土拡張を目的としない戦いを続けた。とくに5度に及ぶ武田信玄との川中島の戦いは、謙信の名を歴史に刻んだと言っていいだろう。

そんな謙信の故郷上越市には、戦国時代の史跡が多数ある。

謙信の本拠の春日山城跡には、ぜひ行っていただきたい。山城の概念を覆すほどの巨大さに驚くはずだ。中腹からは上越の穀倉地帯である高田平野や直江津港が見渡せ、吹き過ぎる風の爽快さと相まって、正義の旗を掲げて各地に転戦した謙信の心意気が伝わってくるようだ。土塁や空堀もふんだんに見られるので、お城ファンなら一度は行ってほしい。

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春日山城跡の上杉謙信公像

春日山城から歩いていける距離に、謙信の菩提(ぼだい)寺の林泉寺(りんせんじ)がある。謙信は7歳の時、この寺に入れられ、僧としての修行を始めたが、兄が病弱だったため、家督を継いで武士となった。しかしその信仰心は生涯変わらず、林泉寺もその庇護(ひご)を受けて繁栄した。

林泉寺の見どころは春日山城の搦手(からめて)門を移築したと伝わる惣門(そうもん)だ。薬医門(やくいもん)形式で銅板葺(ぶ)きのこの門は、大正時代に作られた巨大な山門と共に林泉寺の象徴となっている。また宝物館には、謙信ゆかりの品々が展示されているので必見だ。

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虎千代(謙信の幼名)が学んだ林泉寺は上杉家の菩提寺

林泉寺から徒歩で行ける「上越市埋蔵文化財センター」には、謙信の生涯と春日山城の歴史を描いたジオラマや、城の内外で発掘された出土品が展示されている。ここは「越後上越 上杉おもてなし武将隊」の本拠ともなっている。

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春日山城のジオラマを展示する上越市埋蔵文化財センターでは御城印も販売している

さらに山麓部にある春日山城史跡広場には、堀や土塁が再現されているだけでなく、「春日山城跡ものがたり館」があり、謙信の生涯と春日山城を様々な角度から紹介している。

少し足を延ばせば「高田城址公園」もある。家康六男の松平忠輝(ただてる)の居城として江戸時代初期に造られた平城で、天守代わりの三重櫓(やぐら)が美しい。城内には、18年にオープンした「歴史博物館」がある。

上越市は史跡の宝庫で、歴史好きにはたまらない地域の一つだろう。地元の方々の上杉謙信愛を知るためにも、ぜひ一度は訪れてほしい。

文/伊東 潤

写真協力/上越市教育委員会、ピクスタ

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江戸初期に天下普請で伊達政宗らによって造られた高田城は、夜桜や蓮(はす)の名所でもある。三重櫓は復元。「続日本100 名城」

英雄メモ🖋

上杉謙信(うえすぎけんしん)[1530 ~ 1578]

戦国時代の武将。越後守護代· 長尾為景(ためかげ)の子として春日山城に生まれる。林泉寺で禅を学び、19歳で家督を継いで、後に越後を統一。信濃に侵攻した甲斐の武田信玄とは何度も戦った(川中島の戦い)。北条氏に追われた関東管領(かんれい)の上杉氏を迎え入れ、後に関東に攻め入って次々と城を落とし、本拠である小田原城を包囲。助けを求められて越中に出陣したり、越前の一向一揆(いっき)と戦ったりと、義理堅い人間性がうかがわれる。山内上杉家から関東管領の職を相続し、名を上杉に改めた。上洛と織田信長との決戦を目前に病没した。


[春日山城への交通]
えちごトキめき鉄道春日山駅からバス5分の春日山荘前下車徒歩25分、または北陸新幹線上越妙高駅からタクシー25分
[観光の問い合わせ]
TEL:025-543-2777(上越観光コンベンション協会)

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2024年10月号)
(Web掲載:2025年7月24日)


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