【伊東潤の 英雄たちを旅する】第19回 尚泰王と那覇

歴代の琉球国王が居城とした首里城から市街地と海を眺める。2019年の火災で全焼したシンボルの正殿は復元工事中で、見学エリアで進捗を見られる。26 年秋に完成予定。火災後の残存物を展示する復興展示室もある
プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。
中国・日本・東南アジア交易のハブとして栄えた琉球王国
「万国(ばんこく)の津梁(しんりょう<架け橋>)」と自ら呼び、中国・日本・東南アジア交易のハブとして栄えた琉球(りゅうきゅう)王国。その繁栄も15世紀の後半になると、王位継承問題や有力按司(あじ<豪族>)の反乱などにより陰りが見えてくる。決定的だったのは、1609年の薩摩藩の琉球侵攻だろう。これにより琉球王国は薩摩藩島津氏の支配下に入る。
時代は幕末に近づき、欧米列強のアジア進出が活発になってくる。とくに米国は、捕鯨船の寄港地を日本や琉球に求めるようになった。日本・琉球双方にとって、欧米の太平洋への進出は脅威だったが、日本が米国と日米和親条約を結ぶと、琉球も琉米修好条約を結ばざるを得なかった。
1843年に生まれた尚泰王は4歳で即位し、第二尚氏(しょうし)王統第19代国王の座に就いた。そして名目上ではあるものの、琉米修好条約締結の主体となる。しかし明治維新を成し遂げた日本政府は琉球の独立性を奪い、廃藩置県の翌年の72年、尚泰王を琉球藩王に封じて華族とした。その後、79年の琉球処分によって沖縄県が設置されると、尚泰王一族は東京への移住を命じられる。
90年の帝国議会の開設に伴い、尚泰王は貴族院侯爵議員に就任し、政治家として活動することになるが、1901年に58歳でこの世を去る。
時代の流れに翻弄された生涯だが、東京で死去したことが、琉球王国最後の王としての尚泰王の人生をさらに悲劇的なものとしている。その最期に脳裏に浮かんだのは、沖縄の青い海だったのではないだろうか。
尚泰王も住んでいた首里城こそ、沖縄を代表する史跡だろう。その中心を成す首里城本丸は、那覇市全体を見下ろす標高120メートル〜130メートルの小高い丘の上に造られている。とくに凝った縄張りは見られないものの、堅固な石垣といくつもの門に守られていて、大砲のない時代に、この城を落とすのは容易ではなかったはずだ。またこの城は中国の城の影響を強く受けており、異国の城の情緒を楽しめる。そんな首里城だが、2019年に主要な建物が焼けてしまった。今は復興の途上にある。
首里城の守礼門(しゅれいもん)
首里城の近くにある玉陵(たまうどぅん)にもぜひ行ってほしい。ここは第二尚氏王統の陵墓(りょうぼ)で、1501年に第3代尚真(しょうしん)王が父尚円(しょうえん)王の遺骨を改葬したことに始まる。沖縄の信仰と葬礼について知るのに絶好の場所だ。
王家の陵墓の玉陵は、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産の一つ
沖縄観光の表玄関と言えば国際通りだ。私が30年ほど前に行った時は、アメリカ統治時代の名残の英語看板も多く、雑然とした雰囲気が漂っていたが、おととし行った時は、すっかり日本的な観光地となっていた。それでも少し路地を入ると、赤瓦と白い漆喰(しっくい)壁の小さな家が軒を連ねた昔の那覇の雰囲気が漂っている。
約1.6キロ続く国際通りは那覇最大の繁華街
ほかにも那覇周辺には、沖縄で最も格式の高い神社の波上宮(なみのうえぐう)、琉球王朝時代に造られた回遊式庭園の識名園(しきなえん)、琉球列島の歴史・文化を学べる沖縄県立博物館・美術館がある。
国際社会の力学に翻弄(ほんろう)されながら450年もの間、命脈(めいみゃく)を保った琉球王国だが、その歴史と文化は、今もしっかりと沖縄に根付いている。
文/伊東 潤
写真協力/ピクスタ、沖縄観光コンベンションビューロー
海神の国(ニライカナイ)の神々に平安と豊漁を祈ったことに始まるという波上宮。すぐ前にビーチと青い海が広がる
王家最大の別邸、識名園は、一族の保養や外国使節の接待に使用された
英雄メモ🖋
尚泰王(しょうたいおう)[1843 ~ 1901]
第二尚氏王統第19代にして最後の琉球国王。尚泰とも。1848年、4歳で即位。江戸時代末期、薩摩藩の支配を受けながら清の朝貢国でもあった琉球王国の国王として、欧米諸国と修好条約を結ぶ。明治維新後の72年、政府の廃藩置県で琉球藩が置かれると、琉球藩王に封じられ華族となる。79年の琉球処分により沖縄県が設置されると、政府の命で首里城を出て東京に移住。450年続いた琉球王国は終焉(しゅうえん)を迎えた。90年、貴族院侯爵議員に就任。1901年に死去し、那覇市の琉球王家の陵墓、玉陵に埋葬された。
[首里城への交通]
那覇空港駅からゆいレール30 分、首里駅下車徒歩15分
[観光の問い合わせ]
TEL:098-868-4887(那覇市観光案内所)
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年8月号)
(Web掲載:2025年7月22日)