【伊東潤の 英雄たちを旅する】第23回 勝海舟と東京

東京都指定名勝の洗足池。勝海舟の別荘「洗足軒」が近くにあったが、戦災で焼失。夫妻の墓と記念館がある。東急池上線洗足池駅からすぐ
プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。
独特の江戸弁とキップのよさから皆に愛された海舟
勝海舟といえば、坂本龍馬の師匠というイメージが強い。実際に海舟と龍馬の間には強い絆(きずな)があり、龍馬は故郷への手紙の中で、海舟のことを「日本第一の人物」「天下無二の軍学者」とまで書いている。
海舟は1823(文政6)年、江戸本所(現在の墨田区両国)で生まれた。その曽祖父が江戸に出て鍼医(はりい)となって財を成し、旗本の男谷(おたに)家の株を買い取ったことから(※)、その曾孫の海舟は旗本となれた。
幼少時より蘭学を学んだ海舟は、青年になると長崎海軍伝習所に入り、咸臨丸(かんりんまる)で渡米する機会に恵まれる。帰国後は軍艦奉行並となり、神戸海軍操練所を開設する。そこで龍馬と出会ったのは周知の通りだ。大政奉還(たいせいほうかん)から鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いを経て、官軍が江戸に押し寄せてきた際、海舟は交渉役として西郷隆盛と渡り合い、江戸無血開城を実現した。
明治維新後、海舟はその有能さを認められ、参議、海軍卿、枢密(すうみつ)顧問官を歴任し、伯爵に叙された。しかし薩長の藩閥(はんばつ)政治の中で存在感を示すことができず、明治政府では大きな事績を残すことはなかった。
海舟の史跡と言えば、まず港区赤坂の勝安房(あわ)邸跡だろう。勝は49歳から76歳まで、この地に居を構え、談話録として有名な『氷川清話(ひかわせいわ)』などを記した。現在ここは区立特別養護老人ホームとなっており、建設の際に出土した勝家ゆかりの品々も展示されている。
ここには、海舟存命の頃からあった大銀杏(いちょう)の木が今も残っている。さらに注目すべきは、この地にある海舟と龍馬の「師弟像」だ。2人の絆を象徴するような「師弟像」は、今も未来を見据えているかのようだ。また少し離れた港区芝の三田駅そばには、海舟と西郷が江戸無血開城の会談を行った場所の石碑がある。
※御家人株……江戸中期以降、生活に困窮した御家人や下級の旗本が、表面上は養子縁組の形で、町人や農民に家格を売り渡すことが行われた。
「江戸開城 西郷南洲 勝海舟会見の地」碑は地下鉄三田線三田駅からすぐ
墨田区の両国公園には「勝海舟・生誕の地」の石碑が、さらに同区吾妻橋の区役所には「勝海舟像」もある。その像の指差す先には太平洋、さらに米国がある。
総武線両国駅から徒歩5 分の両国公園には「勝海舟生誕の地」碑(写真右端)がある
隅田川沿いの墨田区役所の横にある勝海舟像
足を延ばし、かつて海舟の別荘「洗足軒(せんぞくけん)」があった場所に、2019年に開館した大田区立「勝海舟記念館」にも行きたい。この地は、海舟から寄贈された後、清明文庫という東洋思想の啓蒙(けいもう)活動の拠点が建設され、今は海舟ゆかりの品々を展示している。洗足池の畔に立つネオゴシックスタイルの建築物は、昭和初期のモダン建築を今に伝えている。
その近くには、海舟夫妻の墓所や、西郷隆盛の死を悼んだ海舟が建立した「留魂詩(りゅうこんし)碑」もある。かつて敵味方に分かれていた2が、江戸無血開城の交渉を通じ、肝胆相照(かんたんあいてら)す仲となったのには感慨深いものがある。
国の登録有形文化財である旧清明文庫を活用した勝海舟記念館
海舟は独特の江戸弁とキップのよさから皆に愛され、満76歳の天寿を全うする。その最後の言葉は「これでおしまい」だったというから、最期までユーモア精神溢(あふ)れる男だったのだろう。海舟の言葉に、「行いは我にあり、評価は他にあり。我関せず」というものがある。これこそ、知恵と交渉力で江戸を救った男ならではの名言ではないだろうか。
文/伊東 潤
写真/大田区立勝海舟記念館、ピクスタ
英雄メモ🖋
勝海舟(かつかいしゅう)[1823 ~ 1899]
幕末・明治の政治家。下級幕臣勝小吉(こきち)の長男で、通称は麟太郎(りんたろう)。蘭学・兵学を学び、長崎海軍伝習所に入る。1860年、咸臨丸を指揮して太平洋を横断し、アメリカ社会を見聞した。神戸海軍操練所では諸藩士や坂本龍馬ら脱藩浪士を教育。第2次征長戦争に際しては軍艦奉行となり、長州との停戦交渉に当たった。1868年、戊辰(ぼしん)戦争時には幕府の陸軍総裁として、総攻撃の前日、新政府軍の参謀である旧知の西郷隆盛らと薩摩藩邸で会談し、江戸無血開城を実現。明治維新後は参議、元老院議官、枢密顧問官を歴任した。
[勝安房邸跡までの交通]
地下鉄千代田線赤坂駅5b出口から徒歩5分、または地下鉄銀座線溜池山王駅12出口から徒歩7分
[観光の問い合わせ]
勝安房邸跡/TEL:03-6809-5514(港区観光協会)
勝海舟記念館/TEL:03-6425-7608
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年12月号)
(Web掲載:2025年10月16日)