【私の初めてのひとり旅(一人旅)】吉田類さん パリ、仁淀村(1)
よしだ・るい[酒場詩人]
1949年高知県生まれ。俳人、イラストレーター、エッセイスト。酒場や旅をテーマに執筆活動を続けている。「吉田類の酒場放浪記」(BS-TBS)や、豊富な登山経験を生かして「にっぽん百低山」(NHK)、毎月第2日曜の「ラジオ深夜便」(NHK ラジオ第1)に出演するなど、テレビ、ラジオでも活躍中。『酒場詩人の流儀』『酒は人の上に人を造らず』(いずれも中央公論新社)など著書多数。近著に『吉田類の愛する低山40三合目』(NHK 出版)。
画家を目指して渡仏した青年時代、パリを拠点に欧州を巡った旅の第一歩
学生時代は〝政治の季節〟でした。学生運動に嫌気が差した僕は、山陰などを放浪した経験もあります。ただ、僕自身では20代半ばに訪れたパリが初めてのひとり旅だったと思っています。
当時はダリやデ・キリコなどのシュールレアリスムに傾倒していました。そのムーブメントが産声を上げたパリを自分の目で見て画家の道に進むか、ニューヨークでグラフィックデザインの勉強をするか、岐路に立っていました。現代美術の大先輩にかつて滞在していたパリの安ホテルを紹介してもらったので、パリへ行くことに決めたのです。
羽田空港からエール・フランス機での渡欧です。当時は共産圏のソ連上空を飛べなかったので、アンカレッジ(米アラスカ州)経由の北極ルートでした。乗り物は必ず窓際の席を予約しますが、その時も外を眺めて地球が丸いことを実感し、地平線がブルーとオレンジ色に染まる光景に感動。雪原を歩いているのはシロクマかと風景に見とれていました。
ところが、アンカレッジに到着する前に乗務員から窓のブラインドを下げるように言われ、機体に問題が発生したのでアンカレッジで機体を交換するというアナウンスがありました。結局、航空会社が用意したホテルに泊まることになり、「ラッキー!」と思いました。だって、ただでアンカレッジの街を見て回れるんですから。
翌日か翌々日、開港間もないパリのシャルル・ド・ゴール空港に着きました。送迎に来ていた日本人に話しかけられ、「大変でしたね、機体が火を噴いたんですってね?」と言われた時はびっくり!あの時窓を閉めさせたのは、その光景を乗客が見てパニックを起こさないようにするためだったんですね(笑)。
安ホテルは学生街のカルチェラタンにあったので若者が多く、東洋から来た青年に興味を持ってか、皆親切にしてくれました。初めての海外旅行でもトラブルや危ない目に遭うということは全くなかったです。パリには1か月以上滞在しました。街に出れば歴史的建造物や美術館にしゃれたカフェもあり、洗練された環境です。すっかりパリが気に入りました。

パリで最初に滞在した安ホテルがあったカルチェラタンの街並み(写真/ピクスタ)
一度日本に帰り、数か月後に再び渡仏してパリ在住の日本人の画家夫妻が紹介してくれた屋根裏部屋を借りて暮らし始めました。そこを拠点にイギリスやスペイン、モロッコなど欧州や周辺の各地を巡りながら絵を描くという生活です。日本に戻ったのは30代半ば頃でした。

オーストリア・ウィーンのシェーンブルン宮殿を訪れた吉田さん
話/吉田類 聞き手/田辺英彦
【私の初めてのひとり旅(一人旅)】吉田類さん パリ、仁淀村(2)へ続く(4/20公開)
(出典:「旅行読売」2026年4月号)
(Web掲載:2026年4月19日)


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