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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第34回 毛利元就と広島

場所
> 高田安芸市、廿日市市
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第34回 毛利元就と広島

毛利氏と陶氏が戦った厳島から廿日市市方面を眺める。眼下に嚴島神社の鳥居や五重塔も見える

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プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

安芸国の小国人から戦国有数の大名にまで成長した毛利氏

戦国時代の西国の覇者・毛利(もうり)氏は鎌倉幕府創設時の功臣・大江広元を祖とする安芸国(あきのくに)の小国人で、そこから戦国有数の大名にまで成長していったことになる。それを、ほとんど一人で成し遂げたのが元就(もとなり)だ。

元就が生まれた1497(明応6)年頃は、中国地方から北九州にかけて覇権を確立していた大内氏の全盛期で、元就はその傘下国人にすぎなかった。さらに青年時代には領国の東に隣接する尼子(あまご)氏の勢力が伸長し、二大国に挟まれた毛利氏は苦境に陥っていく。そんな中、当主となった元就は婚姻政策により安芸の国人たちをまとめ上げ、中小企業組合的な組織を作り上げ、生き残りを図った。

大きな転機は1542(天文11)年で、大内義隆が元就ら国人を伴って出雲国(いずものくに)に遠征し、尼子晴久の月山富田(がっさんとだ)城を攻めた際、攻めあぐねた大内方が逆襲され、元就らは尼子勢に追われて撤退した。

この戦いの後、義隆は領国経営に興味をなくし、側近に政治を任せるようになる。これに危機感を抱いたのが大内氏家臣の陶晴賢(すえはるかた)で、1551(天文20)年に政変を起こし、義隆を自刃(じじん)に追い込んだ。

晴賢の政変を支えた元就は支配領域を拡大していたが、戦後の国分けを巡って晴賢と敵対する。そこで勃発したのが厳島(いつくしま)の戦いだ。稀代(きだい)の策士の元就は厳島に陶勢を誘い込み、奇襲によってその殲滅(せんめつ)に成功する。戦国時代でもまれに見る完勝だった。

その後、毛利氏の当主となった孫の輝元は120万石の大名となり、豊臣政権では大老まで上り詰めた。しかし関ヶ原の戦いに敗れて版図(はんと)の多くを失い、37万石の中堅大名になるものの、江戸時代を生き延び、倒幕から明治維新の原動力となる。

広島では厳島(宮島)に行ってほしい。この島は広島湾に浮かぶ小島で、島内には嚴島神社や弥山(みせん)の原始林など世界文化遺産に登録された文化財や大自然が豊富に残されている。海上に立つ朱塗りの大鳥居や社殿は、満潮になると海に浮かんでいるように見え、瀬戸内海の美しさと相まって必見の名所となっている。

毛利氏関連の史跡としては、元就時代の本拠となる吉田郡山(よしだこおりやま)城がある。元就によって拡張されたこの城は、四方に延びる12の尾根筋に270以上の曲輪(くるわ)が設けられた巨大山城だ。元就の墓所もある。山麓には安芸高田市歴史民俗博物館があり、毛利氏関連の史料が多数展示されている。

左下1 ④郡山城遠景 安芸高田市歴史民俗博物館.jpg
毛利氏本拠の山城、吉田郡山城跡には、石垣跡や堀切、一族の墓所などがある。国の史跡、日本100 名城

左下2 ③安芸高田市歴史民俗博物館外観 小.jpg山麓にある歴史民俗博物館

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博物館では市の歴史を「古代」「中世」「郡山城」「毛利氏」「近世」のコーナーに分けて紹介

広島市の中心部にある広島城は、輝元が築いた平城で、天守をはじめとした建築物がずっと残っていたが、原爆によって焼失し、今見られる天守などの建築物は再建されたものだ。

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孫の輝元が築城した広島城。原爆で倒壊した天守は、戦後に復元され博物館になったが、2026年3 月に閉城した後も引き続き天守の建物は残り、外観を鑑賞できる

そのほかにも元就誕生の城とされる鈴尾城跡、青春時代を過ごした多治比猿掛(たじひさるがけ)城、初陣の城攻めとなった有田城、躍進の契機となった鏡山城、厳島の戦いの前哨戦の場となった佐東銀山(さとうかなやま)城など、広島県内には元就関連の城跡だけでも多数ある。

いかなる苦境にあっても才ある者は頭角を現す。それを体現した元就こそ、戦国時代を象徴する英雄の一人だろう。

メイン右 ①毛利元就銅像(安芸高田市歴史民俗博物館).jpg
安芸高田市歴史民俗博物館にある毛利元就像

文/伊東 潤

写真協力/安芸高田市歴史民俗博物館、ピクスタほか

英雄メモ🖋

毛利元就(もうりもとなり)[1497-1571]

戦国時代の武将。安芸毛利氏当主。兄と甥の早世により、1523年に家督を継ぎ、吉田郡山城主となる。大内氏に属し、大内義隆を倒した陶晴賢を厳島の戦いで破り、次いで尼子氏を討ち、中国地方全域を支配する戦国大名となった。息子を安芸吉川(きっかわ)氏、備後小早川氏の継嗣(けいし)とするなど勢力拡大に努めた。長男の毛利隆元、次男の吉川元春、三男の小早川隆景に兄弟の結束を伝えた書状「三子教訓状」が残り、有名なエピソード「三矢(し)の教え」の基になったとされる。子の隆元の急死後に跡を継いだ孫の輝元は、広島城を築き、豊臣家五大老となった。


[吉田郡山城(安芸高田市歴史民俗博物館)へのアクセス]
広島バスセンターから吉田出張所行きバス1時間40分、安芸高田市役所下車徒歩5分

[厳島(宮島)へのアクセス]
山陽線宮島口駅から徒歩3分、または広電宮島口駅から徒歩すぐでフェリー乗り場。ここからフェリー10分で宮島桟橋

[観光の問い合わせ]
TEL:0826-47-4024(安芸高田市商工観光課)/TEL:0829-44-2011(宮島観光協会)

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2025年11月号)
(Web掲載:2026年6月25日)


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