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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第31回 真田信繁と上田

場所
  • 国内
  • > 北陸・中部・信越
  • > 長野県
> 上田市
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第31回 真田信繁と上田

上田城跡公園のシンボルの櫓門(復元)と二つの櫓。紅葉や桜の名所でもある

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プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

信繁の前半生は謎に包まれている

残された史料が少ない英雄的な人物は、後に書かれたもので様々な尾ひれが付き、全く違ったイメージで語り継がれていくことがある。源義経(みなもとのよしつね)や真田信繁(さなだのぶしげ)などは、その典型だ。

信繁の場合、その名さえ幸村で長らく定着しており、それが信繁で通るようになったのは最近だ。しかもかつては生年さえも定かでなかったが、最近になり、1567(永禄10)年生まれで、享年は48でほぼ確定した。

信繁の前半生は謎に包まれている。史実としてはっきりしていることは、大坂の陣での登場からその討ち死にまでのわずか7か月という一瞬の閃光のような人生だったということだ。

またその人柄も、従来の武辺者(ぶへんしゃ)イメージとはほど遠く、控えめで大人しい人物だったようだ。兄信之が残した言葉に、信繁は「物事に柔和忍辱(にんにく)にして強からず、言葉も少々にして怒り腹立つこともなし」とある。「柔和で感情の起伏が激しくなく、口数も少なく、怒ることもない」ということだ。

また真田家に伝わる文書には、「性質屈僻(くっき)ならず、常に人に交わるに笑語(しょうご)多く和せり」とある。これは「性質は偏屈でなく、常に皆に交わり、一緒に笑い合う」という意味で、親しみやすい性格だったようだ。

リーダーシップというのは不思議なもので、厳格なばかりが優れたリーダーとは限らず、皆でわいわいやりながらリーダーシップを発揮する人もいる。その典型が信繁だ。というのも信繁は、身一つに近い状態で大坂城に入城したものの、付けられた牢人(ろうにん)衆を手足のように使い、徳川方を翻弄(ほんろう)した。これは将器なくしてできないことで、よほど人望と人徳を兼ね備えた人物だったのだろう。

そんな信繁の故郷の長野県上田市には、真田氏関連の史跡や施設が多数ある。

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真田昌幸が上田城を築くまで本拠にしていた山城、真田氏本城跡からの眺め

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上田駅前にある真田幸村公像。旗印は真田家の家紋「六文銭」

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真田信繁の甲冑「赤備え」のレプリカ。上田市役所の近くの観光会館2階に展示

上田市の史跡といえば、まず上田城だろう。この城は信繁の父昌幸(まさゆき)が1583(天正11)年に創築した。本丸の四囲には堀と土塁がめぐらされており、土塁の上には七つの隅櫓(すみやぐら)と二つの櫓門が立っていたが、今は正面に2基の櫓を残すだけだ。面白いのは、この2基の櫓は明治維新で廃城後、上田遊郭に払い下げられ、昭和まで使われたことだ。現在は城内に移築復元がなされている。ただしこれらは、真田氏の後に城主になった仙石氏が造ったものになる。

真田氏本城跡は、上田城ができるまでの真田氏の戦時用本拠で、その眺望は抜群だ。平時における本拠は真田氏館(やかた<御屋敷公園>)になる。土塁や堀などの遺構が残っており、城好きにはたまらないはずだ。

上田市立博物館は上田城跡公園内にあり、上田城に行った折には立ち寄りたい。ここに行けば、「真田昌幸着用具足」「真田幸村画像」など真田氏関連の収蔵品が多く見られる。

真田氏館跡の近くにある真田氏歴史館では、真田一族の分かりやすい説明や貴重な遺物類を展示している。

上田市に行って真田氏の史跡をめぐり、真田一族の偉大な足跡を満喫していただきたい。

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真田氏館跡は御屋敷公園として整備されたツツジの名所

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真田一族の歴史を歴史書や武具などの資料で紹介する真田氏歴史館

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古い酒蔵やみそ蔵が並び、北国街道の宿場町の面影が残る柳町も歩きたい

文/伊東 潤

写真提供/上田市マルチメディア情報センター

英雄メモ🖋

真田信繁(さなだのぶしげ)[1567-1615]
安土桃山時代から江戸時代初期の武将。信濃国上田城主、真田昌幸の次男。通り名の幸村の由来は諸説あり不明。豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは西軍につき、父とともに徳川秀忠の大軍の西上を阻止。戦後、東軍についた兄信之のとりなしで死罪を免れ、高野山麓に蟄居(ちっきょ)した。1614年の「大坂冬の陣」では、豊臣秀頼に召されて大坂城に入り、出城「真田丸」を築いて徳川軍を苦しめた。翌年の「大坂夏の陣」では家康の本陣まで攻め込む奮闘を見せたが、落城前に戦死。後世、その武勇伝は講談や小説により物語化された。


【上田城跡公園へのアクセス】
北陸新幹線上田駅から徒歩12 分、または循環バス(赤バス)4分の公園市役所前下車すぐ

[観光の問い合わせ]
TEL:0268-71-6074(信州上田観光協会)

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2025年8月号)
(Web掲載:2026年6月19日)


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