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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第28回 橋本左内と福井

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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第28回 橋本左内と福井

市民の憩いの場となっている左内公園。園内には橋本左内の銅像のほか、左内や両親の墓、啓発録の碑などがある

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プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

志士や思想家を多数輩出した幕末で際立った橋本佐内

幕末は、志士だけでなく優れた学者や思想家を多数輩出した時代だった。頼山陽(らいさんよう)、大塩平八郎、藤田東湖(とうこ) 、横井小楠(しょうなん)、佐久間象山(しょうざん)、赤松小(こ)三郎、そして吉田松陰(しょういん)ら枚挙(まいきょ)に暇いとまがない。

中でも福井藩の橋本左内は際立っている。7歳で漢籍を読んで漢詩をひねり、15歳で『啓発録(けいはつろく)』という著作で自らへの戒めを記した。その頃の左内を知る者によると、学友が激論を交わしている時、左内は一人俯(うつむ)いて沈思黙考し、言葉一つ発しなかったという。その理由は『啓発録』に書かれた彼の五つの戒めからうかがえる。まず「稚心(おさまごころ)を去る」、つまり子どものような振る舞いをしない。次に「気を振るう」、つまり絶えず緊張を緩めることなく努力を怠らない。そして「志を立てる」「学に励む」「交友を選ぶ」になる。これが15歳の誓いとは恐れ入る。

福井藩の藩医の家に生まれた左内は大坂に行き、緒方洪庵(こうあん)の適塾(てきじゅく)で洋学を学ぶと、帰藩して藩医となった。さらに江戸に出て蘭方(らんぽう)医学を学んだものの、政治への思いを捨て難く、福井藩主の松平春嶽(しゅんがく)の側近となり、幕末の動乱に乗り出していく。将軍継嗣(けいし)問題では春嶽の手足となって一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)擁立に奔走し、さらに雄藩(ゆうはん)連合による幕政の改革を訴えた。

その交友関係は広く、藤田東湖、西郷隆盛、梅田雲浜(うんぴん)、横井小楠らと語り合い、西洋の先進技術の導入と対外貿易の必要性をいち早く唱えた。左内と面識のなかった吉田松陰は、その著作に「左内と半面の識なきを嘆(たん)ず」と記したほどだ。

しかし安政の大獄が始まると、幕府によって左内は幽閉され、厳しい取り調べの末、斬首刑となった。数えで26歳だった。

左内の故郷福井には、左内を顕彰した史跡や展示がある。

左内が祭られている福井県護国神社から2キロほど南にある福井市立郷土歴史博物館には、福井藩主松平家の遺物や史料が多数展示され、左内関連の展示品もある。そこから徒歩7分ほどの場所に左内の生家跡がある。今は石碑と井戸跡しか残されていないが、ここであの俊才が生まれたと思うと感慨深いものがある。

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福井の歴史を4テーマに分け、模型や映像で解説する福井市立郷土歴史博物館

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左内の生誕地には橋本左内宅跡の碑や井戸跡がある

そこから徒歩10分にある莨屋(たばこや)旅館跡は、松平春嶽に見込まれて福井を訪れていた坂本龍馬が、福井藩士で「五箇条の御誓文」を起草した由利公正(きみまさ)と維新後の構想を語り合った場所だ。龍馬は左内とも知己だった。

そこから足羽川(あすわがわ)を渡って10分ほど歩くと左内公園に着く。ここは橋本家の菩提(ぼだい)寺の善慶寺が空襲で焼失した跡地に造られた公園で、左内の墓もこの中にある。銅像は大正時代に造られ、戦争中に撤去されたが、地元の方々の尽力で戦後に再建された。

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佐内の銅像

幕末は多くの逸材を無為に殺した。革命とは、それだけ多くの血を流さねば成らないものなのかもしれない。だが吉田松陰同様、左内ほどの逸材を失わねばならなかったことを思うと、革命にどれほどの値打ちがあるのかと問いたくなる。

左内公園に佇(たたず)み、その才を十分に発揮することなく露(つゆ)と消えた左内の無念を思ってほしい。

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徳川家康の次男、結城秀康の居城だった福井城址と、市内を流れる足羽川は桜の名所。見頃は4月上旬

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福井城址の西に隣接する福井市中央公園では市民イベントや野外フェスが行われる

文/伊東 潤

写真協力/福井市観光振興課、ピクスタ

英雄メモ🖋

橋本左内(はしもとさない)[1834-1859]

幕末の志士。福井藩士。左内は通称で、名前は綱紀(つなのり)。福井藩の外科医の長男として生まれた。1848 年に自己の規範書『啓発録』を記し、翌年から大坂の適塾に遊学し、蘭学や西洋医学を学んだ。その後、江戸に出て藤田東湖や西郷隆盛らと交わり政治に開眼。藩医から御書院番、藩校の学監となり、洋書習学所設立などの藩政改革を行った。雄藩連合や富国強兵を唱え、松平春嶽(慶永<よしなが>)の相談役として将軍継嗣問題で一橋慶喜擁立に動いたが、反対派の大老・井伊直弼(なおすけ)による弾圧「安政の大獄」で処刑された。


[左内公園へのアクセス]
北陸新幹線福井駅から徒歩15分

[観光の問い合わせ]
TEL:0776-20-5151(福井市観光協会)

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2025年5月号)
(Web掲載:2026年1月31日)


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