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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第36回(最終回) 河村瑞賢と南伊勢

場所
  • 国内
  • > 北陸・中部・信越
  • > 三重県
> 度会郡南伊勢町
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第36回(最終回) 河村瑞賢と南伊勢

鵜倉園地のたちばな展望台から眺める奈屋浦。自然に囲まれた漁港の風景が広がる

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プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

江戸時代の繁栄の土台を築いた人物・河村瑞賢

河村瑞賢(かわむらずいけん)という人物をご存じだろうか。江戸時代初期、13歳で故郷を後にし、江戸で荷車引き(車力)から身を起こして材木商となり、明暦(めいれき)の大火後に木曾の山林を買い占めて財を成した。だが、自らの利益を追求するだけでなく、大火によって死亡した数万の人々を葬る作業を指揮することで衆望を得ると、幕府に見出され、東廻(まわ)り・西廻りの海運航路を整備し、淀川の治水工事に携わり、商都大坂の基盤を整えた。さらに新田開発や鉱山開発といった公益事業にも携わり、幕府の政策を下支えしていく。いわば江戸や大坂の都市インフラ構築事業にかかわり、江戸時代の繁栄の土台を築いた人物だ。

瑞賢は都市および地域開発事業のプロジェクト・リーダーとして、今日まで続く日本経済の基盤を築いた人物と言ってよい。しかもそれは、公益を追求していった結果という点に意義がある。

多くの人を使う事業を成功させるには、卓越したリーダーシップが必要となる。瑞賢には人望と人徳があっただけでなく、明暦の大火で多くの人の死に立ち会ったことで、世のため人のためという利他の精神があった。だからこそ、困難な事業にも人はついてきたのだろう。

自分一個ではなく全体を考える。いつの時代もリーダーシップの根幹は、そこにある。

瑞賢の生まれた三重県南伊勢町の東宮(とうぐう)村(現・東宮)は海に面した小さな農村だ。船でこの村を訪れると、奈屋浦(なやうら)が迎えてくれる。この小さな集落が少年瑞賢の世界のすべてだった。

東宮には河村瑞賢の「生家跡地」があり、この地を保存した御木本(みきもと)幸吉による顕彰碑が立っている。極貧だった少年瑞賢が魚を売り歩いた後、疲れた体を引きずってここに帰ってきたかと思うと、感慨深いものがある。その近くにはヘンバイの宮跡という奇妙な名の祠(ほこら)跡がある。瑞賢はここで江戸へと向かう決意をしたと伝わる。

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生家跡地には、産湯に使ったとされる井戸や、真珠王と呼ばれたミキモト創業者・御木本幸吉氏による顕彰碑がある

八柱(やはしら)神社には、江戸で功成り名を遂げた瑞賢が寄進した鳥居がある。この鳥居は地震で倒壊したが、地元の方々の尽力によって再建が成った。

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瑞賢が奉納した八柱神社の石の鳥居は、町の指定文化財

河村瑞賢公園には高さ8メートルの銅像が立つ。陣笠をかぶり、右手で何かを指し示す、仕事中の瑞賢の姿が見事に造形されている。この公園は四季の花や木に囲まれ、3月上旬には河津桜が咲き乱れる。東宮資料保存館には瑞賢コーナーもあり、その生涯が分かりやすく説明されている。

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銅像が立つ河村瑞賢公園は河津桜の名所

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旧東宮奈屋小学校の校舎の一部を移築した東宮資料保存館

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保存館には地元の歴史・民俗資料を保存、展示し、瑞賢の解説資料もある

東宮川をさかのぼると、森林の奥に東宮不動の滝がある。この滝は、幼い瑞賢が、家族の病が治ることを祈願したという伝承がある。

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冬季も水量が衰えない東宮不動の滝は、東宮バス停から北に約3キロ。瑞賢が、母の病気が治るように何度も祈願に通ったと伝わる

ほかにも東宮には、河村家の菩提(ぼだい)寺の大仙寺や父母と弟の墓所など、瑞賢ゆかりの場所が多数ある。

さらに鵜倉(うぐら)園地にまで足を延ばせば、たちばな展望台から奈屋浦、さらに熊野灘が眺められる。この眺望を瑞賢が見たかどうかは分からないが、その美しさは格別だ。

ここに立つと、江戸に旅立つ瑞賢の未知なる人生への希望が伝わってくるような気がする。

文/伊東 潤

写真協力:三重県観光連盟、南伊勢町教育委員会、ピクスタ

英雄メモ🖋

河村瑞賢(かわむらずいけん)[1618 -1699]

江戸前期の商人。海運・治水に功労のあった事業家。名は瑞軒とも書き、晩年は平太夫と称した。伊勢国東宮村の貧農の子で、13歳の時に江戸に出て、車力や漬物屋などをした後、材木商を始めた。1657年の明暦の大火の際、木曽山林の木材を買い占め、江戸に運んで巨利を得た。その後、城下町の発展で人口が増える江戸に、奥州の年貢米を運び入れるため、幕命により二つの航路、太平洋を通る「東廻航路」、次いで日本海、瀬戸内海から大坂を経る「西廻航路」を整備。大坂では淀川の洪水を機に下流の治水工事を任され、安治(あじ)川を開削した。鉱山開発、新田開発などの各地の公共事業に携わり、その功績から晩年、旗本に加えられた。隅田川沿いの霊岸島に居を構え、屋敷跡に案内板が立つ。鎌倉の建長寺に墓がある。


[河村瑞賢公園までのアクセス]
JR・近鉄伊勢市駅からバス1時間15分、東宮下車徒歩10分/紀勢道紀勢大内山IC から24キロ

[観光の問い合わせ]
TEL:0599-66-1717(南伊勢町観光協会)

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2026年1月号)
(Web掲載:2026年6月27日)


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