「令和元年」万葉ゆかりの地を彩った朗唱、ラッピング電車、火文字の祭典(1)
令和元年10月の「万葉集全20巻朗唱の会」は、富山県高岡市の高岡古城公園・中の島特設水上舞台などで行われた(写真提供/高岡市)
2019年(令和元年)、日本各地の万葉集ゆかりの地では、例年にも増して彩り豊かな「万葉」ゆかりのイベントが繰り広げられた。
富山県高岡市で高岡版「梅花の宴」
4月1日に新元号「令和」が発表され、5月1日からスタートした令和元年。
その10月4日から6日まで、富山県高岡市でちょうど30回目となる「万葉集全20巻朗唱の会」が開かれた。それに先立って新元号「令和」の由来となった「大宰府での梅花の宴」を高岡版にアレンジした朗唱イベントが行われた。
ここで、「令和」の由来を振り返ると、万葉歌人・大伴旅人(おおとものたびと)が730年(天平2年)、九州・大宰府の長官だった時に開いた「梅花の宴」にさかのぼる。
宴席では32人の歌人がおのおの歌を詠んだが、主催者・旅人がその歌々に付けた序文の一節<初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ>が新元号の典拠になった。
旅人は著名な万葉歌人・大伴家持(おおとものやかもち)の父である。万葉集は様々な人物によって編さんされたといわれるが、最終的に全20巻にまとめたのが家持だったとされる。万葉集の成立に大きな役割を果たした家持が現在の高岡市伏木に越中国守として赴任していたという縁から「万葉集全20巻朗唱の会」が同市で開かれている。
高岡版「梅花の宴」は、万葉集ゆかりの自治体の首長、高岡市と交流のある自治体の首長らがそれぞれ万葉歌を朗唱するという趣向。
まず、高岡市の髙橋正樹市長が万葉衣装に身を包み、<正月(むつき)立ち春の来(きた)らばかくしこそ梅を招(を)きつつ楽しき終(を)へめ>を歌い上げた。
この歌は、梅花の宴で詠まれた32首のうちの最初の一首である。
「正月立ち」は「正月になって」、「楽しき終へめ」は、「楽しさの極みだろう」という意味だ。
この歌は宴に招かれたひとりの「大弐紀卿(だいにきのまへつきみ)」が詠んだ。「大弐」は大宰府の次官。紀卿の名前は不詳だが、紀男人(きのおひと)だったのではないかといわれる。
続いて福岡県太宰府市の楠田大蔵市長ら万葉集ゆかりの自治体首長らが次々に万葉衣装で歌を披露していった。
高岡版「梅花の宴」に引き続き、高岡万葉まつりのメインイベントである「万葉集全20巻朗唱の会」が始まった。
荒天のため、当初は東洋通信スポーツセンターで朗唱を行ったが、4日夜からは、例年と同じ、高岡古城公園・中の島特設水上舞台に会場を移し、3日3晩、県内外から集まった2400人以上が万葉集を歌い継いだ。
朗唱参加者たちの中には、次代を担う子供たちの姿もあった。
そんな姿からは、次のようなエピソードを連想する。
大伴家持は「梅花の宴」の20年後、越中国守として赴任中に、子供の頃に接した宴を想起してか、<春のうちの楽しき終(を)へは梅の花手折(たを)り招(を)きつつ遊ぶにあるべし>と詠んだ。
高岡市の髙橋市長が朗唱した「大弐紀卿」の一首に呼応する内容のようである。文化とは、このように次世代に引き継がれていくものではないか。
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