丹波亀山城と福知山城―明智光秀の実像を求めて(1)
丹波平定の軍事拠点
大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」で一躍脚光を浴びている戦国武将・明智光秀。長谷川博己(ひろき)の好演に魅了され、ゆかりの地を巡るファンも増えている。かく言う私もその一人で、京都駅を経由して丹波地方を目指した。
最初に訪ねたのは亀岡市の城下町。1575年に織田信長から丹波平定を命じられた光秀が、軍事の拠点として亀山城を築いた地だ。亀岡駅で電車を降り、駅近くの「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」へ。ドラマの衣装や小道具などを見て、気分が高まったら町歩きに出発だ。
光秀は知識人?
南郷公園の入り口に光秀の銅像が見えてきた。丹波亀山城址はその後方の小高い丘にある。創建当初の天守は三重で、その後五重に改築されたそうだが、明治政府の廃城令により取り壊された。荒廃した城跡を1919年に買い取り、石垣の修復や管理などを続けているのは出口王仁三郎(おにさぶろう)を教祖とする宗教法人大本である。
総合受付で見学申込みをして城跡に入る。途中、石垣にいくつかの小さな刻印を見つけた。諸大名を動員した大規模工事「天下普請(てんかぶしん)」の名残りだ。二の丸跡に立つヤマザクラを見ながら、光秀の数奇な運命を思う。主君の信長を自害させた本能寺の変の際、光秀はこの城から出陣したという。
続いて亀岡市文化資料館の特別展「明智光秀と戦国丹波」を見学。光秀が医学に通じていたことを示す秘伝書や、連歌を記した書面など多彩な展示で見応えがある。
「近年新たに発見された史料から、非常に教養の深い知識人だったことがわかってきました」と学芸員さん。おかげで光秀の実像が、ぼんやりと見えてきた。(月刊「旅行読売」2020年4月号から)
文/北浦雅子
【城データ】
築城:1577年(天正5年)頃完成/明智光秀 種類:平山城 天守:なし 遺構:石垣、曲輪、井戸 入城:9時30分~16時30分/無休/300円
御城印:なし
交:亀岡駅から徒歩10分
住:京都府亀岡市荒塚町丸内1 ☎︎0771・22・5561(大本本部神苑)
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