ボスニア・ヘルツェゴビナへの旅(2)モスタルに残るトルコ文化の影響
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スターリ・モストの両端から中央までは上り坂になっている
欧州バルカン半島にあるボスニア・ヘルツェゴビナ。その南部ヘルツェゴビナの中心都市モスタルの古い橋(スターリ・モスト)をゆっくり渡りながら、この地域の歴史を振り返ってみた。
ボスニア・ヘルツェゴビナの運命は、第一次世界大戦が終わり、オーストリア・ハンガリー帝国が解体されると一変した。ボスニア・ヘルツェゴビナの東方にあるセルビア王国が主導し、同帝国支配下にあったクロアチア人、スロベニア人居住地域なども含めた王国ができたのだ。その中に、トルコ文化の影響が色濃く残り、イスラム教徒も多いボスニア・ヘルツェゴビナも含まれた。国名はセルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国に。さらに国名は1929年にはユーゴスラビア王国となった。第二次世界大戦中の紆余曲折を経て、大戦が終結した45年には、連邦制の社会主義国のユーゴスラビアになる。
ソ連・東欧諸国は89年以降、同年11月のベルリンの壁の崩壊などの激動期に入り、共産党一党支配体制が次々に崩壊していった。
連邦制の社会主義国ユーゴスラビアでは、まず構成共和国の一つセルビアのコソボ自治州で独立の動きが起き、各地で次々に構成共和国の独立宣言や内戦が始まった。構成共和国の一つだったボスニア・ヘルツェゴビナも92年に独立を宣言したが、ボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人の間で内戦となった。
95年に国際連合の調停で和平協定が成立、ボスニア・ヘルツェゴビナはボシュニャク人、クロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人主体のスルプスカ共和国(セルビア人共和国)という2つの構成体から成る連合国家となった。
土産店にはトルコ風の工芸品が並ぶ
「スターリ・モスト」の東側、ボシュニャク人が多く住む地区から、比較的クロアチア人が多い西側へ渡り、再び東側に戻った。橋の東側に広がる旧市街の土産店にはコーヒーカップなどトルコ風の工芸品が並んでいた。
旧市街のあちこちにあるカフェの一つに入ってみる。ショーケースに、トルコなどの中東地域やバルカン半島で人気のデザート「バクラヴァ」を見つけたので、濃いトルココーヒーと一緒に注文した。
バクラヴァは、薄い「フィロ生地」を、クルミ、ピスタチオなどをはさみ、バターを塗りながら重ねて焼く。焼き上がってからシロップをかけるのでとても甘く濃厚な味がする。バクラヴァの起源ははっきりしないが、似たデザートは中東地域に1000年以上前からあったようだ。オスマン・トルコ帝国の前身となる武装勢力がアナトリア半島西北部に勃興したのは13世紀末なので、バラクヴァの起源はオスマン・トルコ帝国以前ということのようだ。ただ、オスマン・トルコ帝国が、中東各地や欧州のバルカン半島に勢力を拡大していく中で、バラクヴァの製造方法が、首都イスタンブールの菓子職人たちによって洗練されていった経緯があるらしい。繁栄したオスマン・トルコ帝国領内の各地にバラクヴァが広まり、愛好されていったことは想像に難くない。
ボシュニャク人のガイドさんは、「バラクヴァはボスニア・ヘルツェゴビナの多くの家庭で主婦が腕によりをかけて作っています。おいしいバラクヴァの作り方が、花嫁修業のひとつだと考えている人も多いんです」と教えてくれた。
併せて注文したトルココーヒーは、コーヒーの粉を水にまぜて沸騰させ、上澄みだけを飲む。濃厚な味わいで、甘いバクラヴァによく合う。「トルココーヒーの文化と伝統」は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されている。
(出典:「旅行読売」2020年3月号)