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“山城” 愛あふれる 春風亭昇太 お城めぐりのすすめ<前編>

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“山城” 愛あふれる 春風亭昇太 お城めぐりのすすめ<前編>

河村新城にて


「笑点」の司会でおなじみの落語家、昇太師匠は著書もあるほどの大の城好きとしても知られる。中でも天守閣のある豪壮な城ではなく、中世の山城に興味があるという。マイナーな城が次々に出てくる「昇太ワールド」開演!


 

――城好きになったきっかけは、静岡県清水市(現静岡市清水区)のご出身であることが大きいとか?

出生地が清水市二の丸町で、中学生時代にそこが江尻城跡だと知り、その江尻城を築城したのが戦国時代有数の築城名人、馬場美濃守信春だった。調べていくと清水市内にも城や館がたくさんあることが分かりました。市内にある庵原(いはら)山城は初めて訪れた遺構が残った山城でした。

以来、高校、大学と城歩きを続けました。大学は史学科でしたが、学部の校舎があった湘南にも山城は多かったですね。落語家になると、地方公演などに呼ばれることもあるのですが、近くに城がないか探して、時間の許す限り訪れています。高座のときに落語のはじめに入れる枕(前フリ)で、「今日、○○城へ行ってきました」と話すと、地元の人たちは「え、あそこへ行ったの?」という感じで親近感を持ってくれて、落語がやりやすくなります。

プライベートで見に行くことも多いです。これまでで約600の城をめぐりました。最近は年40か所ぐらいの城をめぐっているでしょうか。

 

――とりわけ中世の山城がお好きということですが、その魅力は?

近世になると城の建つ場所による特徴が少なくなるんですね。全国統一されるので、造りが似てくる。中世の城は地域性がすごく出ます。中世の城のほうが抜群に多様性はある。日本の城のスタンダードは中世の城ですよ。一般的には天守閣が城のように思われていますが、近世の天守閣は造られた時期も短いですし、城としては特殊なんです。

中世の城郭は山や丘陵地にありますが、それぞれ地質が違うので、城の造り方も変わってくる。関東なら関東ローム層、九州ならシラス台地と、地質が異なるので自然と城の造りも変わる。造った人の工法によっても違いが出る。武田氏の城、北条氏の城等々、それぞれの色が出るわけです。

関東は石の産出量が少ないので、石垣を使った城は少ないですが、関東ローム層は崩れにくいから垂直に土地を削ることができる。乾くとサラサラ、濡れるとツルツルと滑りやすいので敵の登坂を遮断できる。これは切岸と呼ばれる、地形を利用した防御設備ですが、こういう特性があったので石垣を作る必要がなかったんですね。

城は防衛施設なので、どのように敵から守るかを考えて造っているので、今でも中世の城を見に行くと、工夫した跡がよくわかる。そこが面白いですね。

 

――最近行かれた城で面白かったところはありますか?

2020年の8月に行った神奈川県山北町にある河村新城(※)ですね。新東名高速の建設で消滅してしまう運命なんですが、その前に発掘調査をしているんです。「歴史家と噺家(はなしか)の城歩き」という本の共著者でもありますが、中世考古学が専門の滋賀県立大学の中井均教授が現場見学に行くのに同行させてもらいました。

発掘調査をしてみたらすごい遺構が残っているのがわかりました。生えている木を切って、当時の地表面を露出させていましたが、滑りやすくて堀に落ちそうになり、久しぶりに、怖かった。試しに裸足になってみましたが、全然ダメでしたね。つぶしてしまうのはもったいないですね。


河村新城(神奈川県山北町)

御殿場線谷峨駅の北西約1.6㌔にある城山(標高347㍍)に戦国時代後期に築城された。三方を河川に囲まれた山稜東端部に位置し、東西900㍍、南北800㍍に及ぶ。発掘調査により、中世の曲輪、堀、切岸、掘立柱建物や近世の畝状遺構などが発見された。

河村新城

春風亭昇太/しゅんぷうていしょうた

1982年、春風亭柳昇に入門。2000年には文化庁芸術祭大賞を受賞。2006年に日本テレビ「笑点」大喜利メンバーとなり、2016年には6代目司会者に就任。また、役者としても活躍するほか、「お城めぐり」が高じ、著書の執筆、講演、城イベントなどの出演も多い。

 

(出典「100名城さんぽ」2020年10月5日発売)

(ウェブ掲載 2020年12月16日)



Writer

たびよみ編集部 さん

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