【おうちで南極体験】南極観測隊を“食”で支える南極料理人(2)
日差しも柔らかく、吹く風も優しくなり、少しずつ秋の気配を感じるようになってきました。秋と言えばそう、食欲の秋! おいしい料理が人を元気にするのは、日本でも南極でも同じです。今回は、第55次隊(2013~2015年)、第61次隊(2019~2021年)の2回にわたって調理隊員として南極観測隊に参加し、現在は西荻窪で居酒屋「じんから」を経営する竪谷 博(たてや ひろし)さんに、南極観測隊に参加したきっかけや、当時の思い出などのお話をうかがいました。
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61次隊では通常通り調理隊員は2名でした。やはり、一人の時とは違って、自分の時間が持てるところが大きく違いました。時間に余裕があると、他の隊員の仕事を手伝うこともできるので、生活の幅が広がったように感じます。調理隊員の仕事はおおまかな流れも内容も把握していますし、隊員の望むところもだいたいのことはわかります。厳密に言うと、メンバーが違うので隊によってちょっとずつ要望は変わりますが、大きなところは同じです。
外食のように高級料理が少しずつというのではなく、普段の食事は、ボリュームがあって目でも楽しめるものが喜ばれます。日本でも、庶民の感覚として毎日フランス料理の高級フルコースを食べたいと思わないのと同じで、結局は普段食べているもののレベルが高ければ嬉しいということです。ですから、飽きさせないように楽しくというのをモットーに料理をしていました。
フレンチのフルコースにお節! イベント料理で隊員を笑顔に
南極ではフレンチのフルコースにも挑戦しました。ミッドウィンター祭という行事があり、日本で言えば夏至、南極では冬至に当たる6月20日頃に5日間ほど盛大に開かれます。南極にきて約半年、日が昇らない極夜期に気が滅入らないように、世界中の基地で一斉に行われるものです。このミッドウィンター祭ではフランス料理のフルコースを振る舞うのが恒例のようになっていて、それを楽しみにしている隊員も多くいます。「フランス料理のフルコースは食べたことがないから食べさせて」と言われたりするので、本を見たり、レシピを見たりして作りました。55次隊のときは初めて作ったので、料理を出すときに少し緊張しましたが、喜んでもらえたので嬉しかったです。
イベント料理でいえば、お正月はお節も作りました。といっても、一から手作りというわけにいかないので、和食の業者から購入した冷凍食材を使います。その分、一人一人、お重に詰めて出して特別感を出しました。61次隊の時は、もう1人が中華の料理人だったので、テーブルごとに中華系と和食系を並べてビュッフェスタイルにしました。
また、誕生日は本人に何を食べたいか聞いてリクエストに応えるようにしていました。「スパゲッティーのミートソースを好きなだけかけて食べてみたい」、「ケーキを自分で作ってもいいか?」「寿司を握ってみたいのでやり方を教えて欲しい」など、ユニークなものもあります。そういう要望が言いやすいということも大事なことなので、雰囲気作りも気にかけていました。
食材のありがたさを実感し、素材を活かすことをも学んだ南極生活
南極で料理をするうえで困ることは、生野菜が無くなることです。料理を食べる時、生野菜の青臭さやシャキシャキした食感は欲しくなるんですよね。昭和基地内では、6畳くらいのスペースに棚を置いて、キュウリやカイワレ、トマトなどを順番に育てますが、収穫できる量がわずかなので、欲を言えば水耕栽培のスペースがもっと欲しいですね。冷凍ものを戻した野菜をメインにしたサラダでも、その上に生のカイワレが少しのせてあるだけで全然違います。カイワレのありがたさが南極に行って初めてわかりました(笑)。
55次隊と61次隊の2回、南極観測隊に参加していますが、今振り返ると、もう一度南極に行きたいという気持ちは、55次隊で帰国する時にすでにありました。55次隊での生活は長いようであっという間。初めての経験だったので手探りの状態で、いつの間にか終わってしまいました。日本へ帰る時に「もう1回チャレンジしたら、違う目で南極を見たり、違う感覚で生活ができるのではないか」という想いが生まれていたので、「チャンスがあればまた来るかもしれないな」という気持ちで昭和基地に手を振っていました。その気持ちがずっと消えなかったので、61次隊にもう一度応募しました。
僕の場合、南極に行ったことで食材のありがたさをより実感するようになりました。なるべく、素材の良さを殺さないように料理する、そして新鮮なうちに早く食べさせてあげたいという気持ちが強くなりました。日本料理は素材を上手に活かして調理するという素晴らしさがありますが、それを改めて考え、咀嚼(そしゃく)する機会になりました。まずは素材があり、それを丁寧に作った人がいるわけです。ですから、どんな料理でもそうですが、素材を上手に活かして料理を作らなくてはいけないと強く思っています。
自分を試すことができ、仕事をやりきって帰ってくることができた南極料理人としての経験は、帰国後の自信に繋がっています。それは、やりがいの一つです。でも、それよりも人に喜んでもらえ、「ありがとう」「おいしかった」と感謝されることは、料理人としては最も大きなやりがいです。それに尽きますね。
もし、3回目もチャンスがあれば、ぜひ行きたいですね。昭和基地で地道に研究をしている人の手助けが少しでもできるのであれば、自分の人生の誇りにもなります。
南極へ行く前の準備も、現地についてからも、帰りの引き継ぎも大変なことが多いのですが、なぜか帰ってくると美しい思い出しか残っていないんです(笑)。南極クルーズもチャンスがあれば乗ってみたいです。同じ南極とはいえ、行く場所が違うので昭和基地とはまた違った景色が待っていると思うと興味がわいてきます。
(WEB掲載:2021年9月28日)
堅谷 博(たてや ひろし)
1972年、東京都生まれ。日本料理店での修業を経て、無国籍居酒屋の料理人として腕をふるう。40歳で一念発起し、第55次南極観測隊の調理担当として、2013年12月、昭和基地に赴任。ただ1人の調理担当隊員として、第55次南極観測隊越冬隊24名の活動を支え、2015年3月に帰国。同年7月には東京都杉並区に居酒屋「西荻窪じんから」をオープン、居酒屋激戦区の西荻窪で多くの人に愛される人気店になる。2019年12月、第61次南極観測隊越冬隊の調理担当として、昭和基地に赴任。2021年に帰国するまで越冬隊30名の活動を支えた。