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【おうちで南極体験】南極観測隊を“食”で支える南極料理人(1)

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【おうちで南極体験】南極観測隊を“食”で支える南極料理人(1)

日差しも柔らかく、吹く風も優しくなり、少しずつ秋の気配を感じるようになってきました。秋と言えばそう、食欲の秋! おいしい料理が人を元気にするのは、日本でも南極でも同じです。今回は、第55次隊(2013~2015年)、第61次隊(2019~2021年)の2回にわたって調理隊員として南極観測隊に参加し、現在は西荻窪で居酒屋「じんから」を経営する竪谷 博(たてや ひろし)さんに、南極観測隊に参加したきっかけや、当時の思い出などのお話をうかがいました。

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不思議な縁でつながった南極料理人への道


子どもの頃から食べることが好きだったので、自然と台所で手伝いをしていました。徐々に味噌汁などを作るようになり、その頃から料理に興味を持ち始めました。料理好きだった父のすすめもあって料理の道に進み、それからずっと続けていますね。

南極の調理隊員の話は、南極関係の仕事に携わっている知り合いから聞きました。ただ、その時は南極料理人になろうとは思わなかったんです。しばらくして父の墓参りに出かける日の朝、新聞を読んでいたら南極観測隊員募集(第54次隊)という小さな記事を見つけて。ちょうどその頃、無国籍料理の居酒屋で長年働いて、そのまま働くか、独立してお店を出すか、料理から離れた別の仕事に就くかなどを考え始めていました。年齢的にもターニングポイントで、しかも墓参りの朝に南極という選択肢が出てきたことには、運命というか縁を感じました。

でも、実はその54次隊を受けて不合格になっているんです。落ちてみると悔しいもので、もう1回受けてダメなら縁がなかったと諦めようと思って55次隊を受けました。その時、家族を含めて周りの人が僕の挑戦を応援してくれたのも大きかったです。その年は、無事に受かりました。

第55次隊と第61次隊の調理隊員として南極観測隊に参加した竪谷博さん

食材はほぼ冷凍食品で、1年分を一度に運び入れる!


通常、南極観測隊の調理隊は2名ですが、55次隊は隊員24名で、調理隊員は僕一人でした。基本的に朝食、昼食、夕食のほかに、屋外で働く人のお弁当、深夜勤務の人の夜食などを作ります。

昭和基地に着いたらまず、積み込んできた1年分の食材を冷凍庫に入れるのですが、溶けないように手早く入れて、まさに“突っ込む”という状態なので、きちんと整理整頓するというまでにはいきません。一応、箱に何が入っているか書いてありますが、別のものが紛れていることもあります。ですから、最初は目の前にあるものから使って料理をして、慣れてきたら1週間分くらいの献立を作って順番に解凍していくようにしていました。

ただ、それもある程度の時期が過ぎると崩れていきます。例えば、前の晩にお酒を飲み過ぎた時、予定ではカツ丼だけどそうめんにしようとか(笑)。そうやって少しずつ予定は崩れていくので、最後の頃にはさっぱり系とこってり系、和食と洋食など、二通りを考えてどちらにも対応できるようにしていました。もちろん、直前だと食材の解凍を始めている場合もあって難しいですが、なるべく隊員たちの要望には応えられるようにしていました。

野菜も冷凍状態で持ち込む

人気の食材は納豆にコーヒー


隊員もそれぞれ好みがあるので、出発前にアンケートをとりました。それを見ると、納豆が好きな人がこんなにいるんだ、などがわかって面白いです。過去の南極観測隊がどんな食材をどれくらい発注していたのかがわかる資料があるので、それを見ながらアンケートを加味して、どの食材をどれだけ南極に持っていくかを決めました。食材は万が一無くなっても補充はできません。多めに持って行きますが、予算もあって極端に余らせるわけにもいかないので、その辺はバランスをみて決めます。

思いのほか早く無くなって驚いたのは、55次隊の時のコーヒーです。インスタントコーヒーとドリップ式を用意したのですが、予想以上にドリップ式は消費が早くて驚きました。4カ月か5カ月で無くなってしまったように記憶しています。その後インスタントコーヒーも無くなって、確か1カ月くらいコーヒーがなかったような……。ただ、個人的にコーヒーを持ってきている隊員もいますから、例えば歯磨き粉と交換で分けてもらうなどはあったようです。昭和基地では基本、物々交換をしています。

昭和基地の食堂の様子。ここでの食事は隊員たちの身体と精神を健やかに保つための重要な役割を担っている

隊員のリクエストにも柔軟に対応


昭和基地での生活に慣れてくると、だんだん隊員たちから要求が出てくるようになって「最近、味が薄いよね」「辛い料理が少ないね」など、遠回しに自分の好みをリクエストしてくるようになってきます。55次隊は料理人が僕一人だったので、機嫌を損ねてはいけないという思いもあったようで(笑)、話のうまい人が「こんな声があるけど…」という感じで伝えてきたりしました。お風呂の時に、隣で髪を洗いながら「そろそろ甘いものが食べたいなぁ」とか(笑)。それで「じゃあ作ろうか」となって作ることもありました。

竪谷さんの主な仕事場になる厨房

食事は飽きさせないように楽しくがモットー


南極は自然が美しいところです。オーロラも幻想的だし、太陽が沈まない時期もあるし。ただ、それが日常となると飽きるとは言わないけれど、感動は薄れてきます。日本の四季のようにはっきりとした変化もありません。そうした中で一番目先が変わって変化を付けられるのが食事です。昨日はカレー、今日は鍋と、わかりやすく変えられます。

隊員からリクエストの多かったメニューは、お刺身、寿司、焼肉、ラーメン、うどん、パスタなどですね。結局は普段食べているようなものがローテーションになっていきます。ただ、ラーメンといっても味噌、しょう油、担担麺、海鮮塩味というようにバリエーションをつけて飽きないようにしています。

すき焼きの日も
ラーメン人気は南極でも同じだ


僕はもともとは銀座の懐石料理店で修業をして、その後に無国籍居酒屋で長いことお世話になりました。そうした経験から、いろんなジャンルの料理を作れるようになっていたことは南極で料理をするうえで役に立ったと思います。できないとダメということはないですが、いろんな料理を作れるほうが喜ばれますから。


【おうちで南極体験】南極観測隊を“食”で支える南極料理人(2)へ続く


(WEB掲載:2021年9月20日)


堅谷 博(たてや ひろし)
1972年、東京都生まれ。日本料理店での修業を経て、無国籍居酒屋の料理人として腕をふるう。40歳で一念発起し、第55次南極観測隊の調理担当として、2013年12月、昭和基地に赴任。ただ1人の調理担当隊員として、第55次南極観測隊越冬隊24名の活動を支え、2015年3月に帰国。同年7月には東京都杉並区に居酒屋「西荻窪じんから」をオープン、居酒屋激戦区の西荻窪で多くの人に愛される人気店になる。2019年12月、第61次南極観測隊越冬隊の調理担当として、昭和基地に赴任。2021年に帰国するまで越冬隊30名の活動を支えた。



Writer

たびよみ編集部 さん

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