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幕末に活躍した男たちの生き様

場所
> 京都市
幕末に活躍した男たちの生き様

近藤勇の胸像が立つ壬生塚には、新選組ファンが多く訪れる

会津藩主・松平容保(かたもり)が担った京都守護職、そしていまなお語り継がれる新選組は、京都と徳川幕府を守るために幕末の動乱に活躍した。そんな彼らを顕彰してできたのが壬生寺(みぶでら)、聖護院(しょうごいん)、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)による「京都守護職 新選組巡礼」だ。いずれも会津藩と新選組にゆかりが深く、2021年9月に3カ寺をめぐる特別御朱印を授与し、人気を博した。

壬生寺は新選組が屯所を置き、兵法調練場として使っていた寺院。境内の壬生塚には、隊士を葬る合同碑や、近藤勇の胸像と遺髪塔があり、新選組ファンの聖地となっている。また3月31日までの限定日のみだが、僧侶の案内による本堂の特別公開や、土方歳三や沖田総司などの愛刀(模造)の公開、現代に復元した新選組のダンダラ模様の羽織が試着できる見学プランを実施している(要事前予約)。

金戒光明寺
金戒光明寺は近藤勇らが松平容保から「新選組」の命名を受けた地

京都守護職の本陣になったのが、通称「くろ谷(だに)」こと、金戒光明寺だ。この寺は小高い丘に建つ自然の要害にあり、御所や東海道の入り口までほど近いことから交通の要衝でもあった。新選組局長の近藤勇が、容保に謁見した「謁見の間」が再現されているほか、約350人の藩兵が眠る「會津藩殉難者墓地」がある。

明治維新まで皇族や摂家が門主を務めた聖護院は、格式高い門跡寺院。1864年(元治元年)に京都守護職が、3万7000坪の練兵場を作ったことが記録に残されている。京都と幕府を守るために命をかけて奔走した男たち。3カ寺をめぐりながら、その生き様に思いを馳せてみてはいかがだろう。

 

聖護院
森の中に御殿があったことから、地元では「御殿」と呼ばれる聖護院

京都浪漫・悠久の物語「京都守護職と新選組ゆかりの地へ~聖護院・壬生寺・金戒光明寺~」

2022年2月21日(月)よる8時~8時53分 BS11にて放送

ちょっと“深い”京都を知るなら「京都の特等席」

(WEB掲載:2022年2月12日)


Writer

旅行読売出版社 メディアプロモーション部 さん

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