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【私の初めてのひとり旅】柴田元幸さん 国道1号線と袋井(1)

場所
  • 国内
  • > 北陸・中部・信越
  • > 静岡県
> 袋井市
【私の初めてのひとり旅】柴田元幸さん 国道1号線と袋井(1)

現在の袋井駅北口(写真/ピクスタ)

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しばた・もとゆき[翻訳家]

1954年、東京生まれ。アメリカ文学研究者、東京大学名誉教授。翻訳家。文芸誌「MONKEY」編集長。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞を受賞。翻訳の業績により早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。現代アメリカ文学を中心に訳書多数。村上春樹氏との共著に『本当の翻訳の話をしよう』など。

酒を飲んでるおじさんに、『人生、どこで駄目になったんだ?』と訊かれた

エッセーを依頼されても、毎日仕事ばかりしていて現在については何も書くことがないので、たいていは若いころの愚行を面白おかしく(なっているかどうかはわからないが)書くことで対応してきたわけだが、「はじめてのひとり旅」に該当するものについては、いままで一度も書いたことがない。あまりに馬鹿馬鹿しい話としか思えなかったからである。

大学1年生の夏休み。普通の旅行に行くだけの金はないので、ただ歩くだけなら金もそんなにかからないだろう、と思って東京都大田区の自宅から歩きはじめて、京浜第一国道(国道15号線の地元での通称)に出て、ひたすら西に歩いていった。この国道は横浜で国道1号線に合流する。なので今度は国道1号線を西へ歩く。7日後の夕方、静岡県の袋井駅(東海道線)に着いて、それで終わりにして、電車に乗って、自宅に戻ったのである。

いったい何を考えていたのか、と思う。自然に囲まれた山道を歩く、とかならわかる。だが歩いたのはトラックがびゅんびゅん行き交って排気ガス排出量も半端でない国道である。いまこれをやるとしたら(やらないけど)、まずは使いやすいバックパックと歩きやすい靴が必須だろうが、持っていたのは米軍払い下げのズック(帆布)のバッグで、手から提(さ)げるか肩にひっかけるかしないといけなくて、面倒だという自覚はあったが何かしようという気はなかった(当時バックパックはまだ存在しない。リュックサックはあったが)。靴は毎日はいていた普通の運動靴。帽子も持っていなかった。水分補給?考えもしなかった。

物質面では貧しくても精神面は豊かでバッグには文庫本が2、3冊、なんてこともなかった。ウォークマンが発明されるのだってまだ先だから、音楽を聞くなんて論外。一日中歩きながら、頭の中はどれだけ貧しかったのか。

お金を使うのは1日3回安食堂での食事代と、毎日夕方に入る銭湯代だけ

夜は駅のベンチで寝たから宿泊費はゼロ、お金を使うのは1日3回安食堂での食事代と、毎日夕方に入る銭湯代だけ。だから、人と口を利くのは「すいません、駅ってどっちですか」「レバニラ定食ください」「すいません、このへんに銭湯ありませんか」のみ。毎日銭湯に入っていたおかげか、道を訊いて「なんだこの汚い奴は」みたいな顔をされた記憶はない(道端に座りこんでいたら、母親が子どもの手を引っぱって道の反対側に避難したことは覚えているが)。

そのころはまだ親と住んでいたから、毎晩いちおう、寝ることにした駅から電話をかけて、今日はどこどこで寝る、そうか気をつけて、程度の会話を交わした。駅でまったく一人で寝た記憶はない。だいたいいつも同じように金がない奴がもう一人か二人はいたのである。一度は(たしか小田原駅だった)酒を飲んでるおじさんに、「言ってみろ、お前の人生、どこで駄目になったんだ?」と訊かれた。おじさんは煙草(たばこ)をくれた。

文/柴田元幸

【私の初めてのひとり旅】柴田元幸さん 国道1号線と袋井(2)へ続く(8/3公開)


(出典:「旅行読売」2025年6月号)
(Web掲載:2025年8月2日)


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