【私の初めてのひとり旅】河瀨 直美さん サンクトペテルブルク(1)

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かわせ・なおみ[映画監督]
奈良市生まれ、現在も活動拠点とする。一貫してリアリティーを追求した作品で、カンヌ国際映画祭などで受賞歴多数。代表作は「萌の朱雀(すざく)」「殯(もがり)の森」「2つ目の窓」「あん」など。なら国際映画祭などで後進の育成にも尽力。東京2020 オリンピック公式映画総監督、ユネスコ親善大使、奈良県国際特別大使、2025 年大阪・関西万博のシニアアドバイザー兼テーマ事業プロデューサーを務める。新作劇映画が25 年に公開予定。
ひとりで参加した国際映画祭 ロシアで知った世界の希望と現実
ロシアのサンクトペテルブルクを訪れたのは1994年でした。「かたつもり」という8ミリ映画作品が、サンクトペテルブルク映画祭に招待されたのです。初めての海外、初めての国際映画祭への参加でした。日本との時差は6時間あり、時差を経験するのも初めて。6月の白夜の季節だったので夜になっても暗くならず、体は疲れているのになかなか眠れませんでした。
日本からサンクトペテルブルクへはモスクワ経由の渡航でした。モスクワの空港では国際線から国内線に乗り継ぐのにどうしたらよいか、ロシア語の表記ばかりで全然分かりません。途中で白タクに捕まって、スーツケースを勝手にのせられて、たった5分の距離で40ドル取られたのに文句も言えず……。国内線の待合スペースはすごく狭くて、田舎のバス停みたいな感じでした。トランジットは4時間ありましたが、ずっとそこで待っていた記憶があります。
サンクトペテルブルクに到着すると、出迎えの人がいて、ホテルに連れていってくれました。郵送するのが不安だったのでフィルムは持参したのですが、それを奪うように持っていってしまいました。翌日からのスケジュールについて明確な説明もなく、いつ起きたらいいのか、どこに行けばいいのかも分からないままでした。
サンクトペテルブルグの夕景 写真/河瀨直美さん提供
翌朝、お腹が空いたので街のパン屋さんへ行きました。値段が書いてありましたが、ルーブルの価値がよく分からない。当時のレートは1ドル100円ちょっとだったので、1ドル札を出してみました。そしたらドルの価値がものすごく高かったみたいで、パン屋の店主が感激して店先まで出て来て、見えなくなるまで見送ってくれたんです。ソビエト連邦が崩壊してから数年後という時期で、貨幣価値が下がり、急激なインフレが進んでいたようです。
ただ、パンを買いたいという言葉すらロシア語で言えなかった自分が悔しくなりました。見知らぬ国に行った時に、「パンがほしい」という意志を伝えるためにこそ、言語というのは学ぶべきなのではないか。20代半ばでそんなことを痛感しました。
話/河瀨 直美 聞き手/田辺英彦
【私の初めてのひとり旅】河瀨 直美さん サンクトペテルブルク(2)へ続く
(出典:「旅行読売」2025年3月号)
(Web掲載:2025年7月5日)