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旅へ。(第24回)

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旅へ。(第24回)

那覇市の国際通り


本土復帰から50年 沖縄は寛容のチャンプルー文化

復帰したら雪が降る。日本返還(1972年5月15日)が迫る頃、沖縄の小学生たちの間に奇妙なうわさが広まっていたという。「アメリカ世(ゆう)」から「ヤマト世」へとなれば、気候も本土と同じになる。無邪気な想像力、夢物語は、変革に対する大人たちの不安を少しは慰めてくれたのではないか。もっとも、子どもたちの一番の心配事は「ドルから円に替われば、お小遣いが減るらしい」だったようだが……。

那覇・国際通りは焦土からいち早く復興し、奇跡の「1マイル」といわれた。辻野卓さん(74)、愛子さん(同)の夫婦が沖縄料理の店を出したのは復帰の2年前。店名を潮騒に黄色い花が揺れるゆうなの木(オオハマボウ)にちなみ、「ゆうなんぎい」と名付けた。

車は右側から左側通行になり、観光客向けの店が増えたが、家庭の味は50年間少しも変えていないという。豚肉のラフテー(角煮)は毎日6時間煮込む。豚足のテビチ、ミミガー(耳)、中身汁(モツ)。「最初の頃は観光客から『気味悪い』と言われたが、ただでいいからと食べてもらうとファンになってくれた」と愛子さんは言う。カメカメ(食べなさい、食べなさい)攻撃はおもてなしの心。20年前から客が並ぶようになった。

2019年10月の火災で焼損した、琉球王国のシ ンボル首里城(写真は焼損する前に撮影)。正殿 は2026年までに復元することが計画されている

2001年のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ちゅらさん」の料理監修を務めた尚承(しょう・つぐる)さん(68)は「番組のおかげで料理が認められた」と話す。琉球王朝最後の国王・尚泰(しょう・たい)のひ孫。母、道子は料理研究家、伯母の岸朝子は料理記者、尚さん自身も東京・銀座で沖縄料理店を開いていた。「沖縄はチャンプルー(混ぜこぜ)文化そのもの」と彼は言う。ラフテーは中国、チャンプルーは東南アジアから伝わり、泡盛の原料はタイ米、昆布は北前船で北海道から運ばれた。「イチョリバチョーデー(一度会えば兄弟)」は包摂(ほうせつ)の心。多様性を認める寛容の精神が独特の文化を育んだのだろう。

さて、子どもたちのうわさ話だが……。
夢物語は現実になった。復帰5年後、観測史上初めて久米島でみぞれが降り、6年前には名護でも観測された。
4月から始まった新朝ドラは、少女が沖縄料理に夢をかけた、家族の絆の物語。タイトルの「ちむどんどん」は胸がわくわくするという意味だ。

復帰から半世紀。時代に翻弄された沖縄は、奇跡を信じさせてくれる地でもある。


(出典:「旅行読売」2022年6月号)

(WEB掲載:2022年5月23日)


Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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