白洲正子が愛した名刹と名店
桜の寺として有名だが、隠れた紅葉の名所として知られる常照皇寺
実業家として名を馳せた白洲次郎。その妻、白洲正子は日本文化を愛する随筆家として活躍した。京都は幼い頃から母とともに訪れ、故郷のような場所であったという。正子の随筆に記された足跡をたどりながら、ゆかりの名刹や名店を訪ね歩いてみたい。
著書『かくれ里』に桜の寺として登場する常照皇寺は、北朝初代天皇の光厳法皇が隠棲した寺院。南北朝の動乱の渦に巻き込まれた法皇が、心の安らぎを求めて小庵を開いたという。方丈の裏山に面した庭園は法皇が自ら設計したと伝えられ、秋は見事な紅葉が目の前に広がる。方丈と渡り廊下でつながれた怡雲庵には、法皇の「御遺誡(遺言)」が掲げられ、村の人々に慕われた、人となりを偲ぶことができる。
正子が本に著すほど敬愛したのが明恵上人。厳しい修行や学びを経た後、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜され、鎌倉時代の初めに高山寺を創建した。度重なる火災に見舞われ、当時から残る遺構は石水院(国宝)のみ。床の間に掛けられた「明恵上人樹上坐禅像」に出会った正子は随筆の中で、松林で坐禅を組む気迫に満ちた姿と、一方で上人の柔和な表情に魅せられたという。ちなみに高山寺は、日本で初めて茶が作られた場所として知られる。
そして正子が愛してやまなかった京都の旬の味覚が、アユだ。愛宕神社の一の鳥居そばにある老舗茶屋「平野屋」は、保津川水系の清流で獲れた新鮮なアユを、塩焼きや刺し身など季節ごとに料理して楽しませてくれる。