【家康の城へ】「出世城」と呼ばれた浜松城(1)
青空をバックにそびえ立つ浜松城の天守
家康が飛躍の時代を過ごした町
浜松市の中心部に位置する浜松城は、2023年の大河ドラマ「どうする家康」のスタートに向け、お色直ししたばかり。取材に訪れた12月初めは工事のためのシートが取れた直後で、白亜の外壁と黒い瓦屋根が冬の日を浴びて輝いていた。浜松観光ボランティアガイドの植田善和さんの案内で城内を見て回った。
凛々(りり)しい青年期の家康像に挨拶してから天守門をくぐると、天守が眼前に迫る。築城は1570(元亀=げんき元)年だが、城郭の主要部分の整備は2代目城主の堀尾吉晴の時代に行われたという。現在の天守は、1958(昭和33)年、市民有志から寄付を募って再建された。館内には浜松や家康に関する展示物が並ぶ。最上層からは浜松の街並みはもちろん、富士山や南アルプスまで見渡せる。植田さんは「大河ドラマで浜松が注目されて観光にプラスになるのは大歓迎です」と笑顔で話した。
浜松城は、家康が征夷(せいい) 大将軍にまで上り詰める基盤を築き、後に続いた歴代城主の多くも江戸幕府の要職に就いたことから「出世城」と称されている。一方で家康は戦国大名として雄飛したこの地で、数々の苦難も味わっている。
浜松入りして2年後、武田信玄率いる甲斐勢が攻め入ってきた。家康は織田信長の援軍を得て、郊外の三方ヶ原(みかたがはら)で迎え撃った。3万の武田軍に対し、徳川・織田軍は1万強とされ、戦闘はあっけなく片が付いた。今、三方ヶ原古戦場は国道257号線沿いに立つ石碑にその跡をとどめ、命からがら城へと逃げ帰った家康が鎧(よろい)を掛けて安堵したと言われる「家康公鎧掛松」は浜松城公園に残る。
文/山脇幸二 写真/阪口 克
御城印:あり(300円)
入城:8時30分~16時30分/12月29日〜31日休/200円
交通:東海道新幹線浜松駅からバス10分、市役所南下車徒歩3分
℡:053-453-3872(浜松城天守閣)
【家康メモ】
徳川家康が岡崎から浜松へ本拠地を移したのは1570(元亀元)年、29歳だった。以降、駿府(静岡)に移った1586(天正14)年までの17年間をこの地で過ごした。この間、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手(ながくて)の戦いなど数々の合戦で名だたる武将としのぎを削り合い、三河、遠江(とおとうみ)、駿府に甲斐、信濃を加えた5か国を有する戦国大名へと飛躍を遂げた。その一方で、嫡男・信康と正室・築山殿(つきやまどの)を死に追いやるという苦難を味わいながら、出世の階段を駆け上っていった。
(出典:「旅行読売」2023年2月号)
(Web掲載:2023年2月16日)