たびよみ

旅の魅力を発信する
メディアサイト
menu

【家康の城へ】「出世城」と呼ばれた浜松城(2)

場所
  • 国内
  • > 北陸・中部・信越
  • > 静岡県
> 浜松市
【家康の城へ】「出世城」と呼ばれた浜松城(2)

浜松の中心部に位置する浜松城

 

妻・築山殿と子・信康を相次いで死に追いやる

築山殿が眠る西来院月窟廟(がっくつびょう)
築山殿が殺害されたとされる佐鳴湖畔。今は静かな風景が広がる

【家康の城へ】‟出世城”と呼ばれた浜松城(1)から続く

屈辱的な敗戦から7年後の1579(天正7)年、家康は正室・築山殿(つきやまどの)と長男・信康を失う悲劇に見舞われた。築山殿は、家康が人質として育った今川家一門の出身。今川義元が桶狭間(おけはざま) の戦いで織田信長に討ち取られことで、夫婦仲は微妙になっていたとされる。さらに、築山殿と信康には、敵対関係にあった武田家に内通しているとの嫌疑もかけられ、家康は信長に対処を求められた。

苦悩の末に家康は二人の命を奪う決断を下す。築山殿は家臣の手により、佐鳴(さなる)湖畔で殺害され、信康は自害に追い込まれた。築山殿は西来院(せいらいいん)、信康は清瀧寺(せいりゅうじ) と、市内の寺院に手厚く葬られ、今も弔う人が絶えない。

これらの出来事は家康にとってどんな意味があったのか。浜松市博物館学芸員の橋本充悠(みちはる)さんは、三方ヶ原の教訓を生かし、「武田家が滅亡した後、その遺臣を取り込み、軍備増強に生かした」ととらえる。不利を承知で強敵に立ち向かったことで、領内の人々の信頼を得たとも言えそうだ。築山殿と信康の悲劇については「真相は分からないが、家康が徳川家を守るためにとった行動ということはできるだろう」と話す。

浜松城の隣接地にオープンする大河ドラマ館

地元は大河ドラマによる盛り上がりを期待

「どうする家康」への地元の期待は高まる。浜松市は浜松城東隣に「大河ドラマ館」を開設。1月22日のプレオープンを前に、8日には3000人を集めて出陣式を行った。

新商品も開発された。静岡県飲食業生活衛生同業組合浜松支部は「浜松家康辨當(べんとう)」を考案。製造元のエムシーフードサービス専務の筒井一富さんは「戦国時代に家康が食べたと思われる食材を詰め込んだ。当時の浜松の景色を思い浮かべながら食べてほしい」と売り込む。

家康が好んで口にしたと言われる浜納豆や忍冬(にんどう)酒などの名産品も注目度アップを当て込む。ドラマの放送に合わせ早くもヒートアップする家康熱。出世の街・浜松での変わらぬ人気ぶりをうかがわせている。

文/山脇幸二 写真/阪口 克

家康の好物や地元の特産品を詰め込んだ弁当

どうする家康 浜松大河ドラマ館

浜松城隣接地に建設し、2023年1月22日にプレオープン。3月1日〜17日は休館。グランドオープンは3月18日。ドラマで使った小道具や衣装を紹介するほか、浜松城発掘調査で判明した本丸の石垣も展示する。浜松の特産品を販売するショップや観光案内コーナーも併設している。

■10時~17時30分/プレオープンは400円、グランドオープンは800円/浜松駅から徒歩20分/☎050・3154・0830(大河ドラマ館運営管理事務局)※掲載時のデータです。

 

(出典:「旅行読売」2023年2月号)

(Web掲載:2023年2月18日)

☛壮大な歴史ロマンへの旅、日本の名城ツアーはこちら

☛静岡県など東海エリアへのツアーはこちら

 


Writer

山脇幸二 さん

2022年6月に編集部に着任し、8月から編集長。読売新聞の記者時代は27年にわたって運動部でスポーツ取材に明け暮れた。一時は月の半分近くが出張という生活で、旅行しながら仕事しているような状態だった。今やその旅行が仕事になろうとは…。趣味はロック鑑賞で、ライブやフェスに通うことで身も心も若さを保とうと悪あがきする。矢沢永吉さんを尊敬し、ともに歳を重ねていける幸せをかみしめる日々。

Related stories

関連記事

Related tours

この記事を見た人はこんなツアーを見ています