【家康の城へ】徳川四天王・井伊直政の系譜を継ぐ 彦根城
全国に5か所しかない国宝天守の一つ。寺院建築に見られる華頭(かとう)窓があるのも特徴
井伊家の居城の国宝天守は家康の支援で完成
彦根城は譜代大名、井伊家14代の城だ。関ヶ原の合戦は徳川四天王の一人・井伊直政(なおまさ)の軍勢の発砲により、口火を切ったとされる。関ヶ原の合戦の功労により、直政は徳川家康から石田三成の佐和山(さわやま)城(今の彦根市内)と旧領を拝領した。
直政の死後、長男の直継(なおつぐ)(初代彦根藩主)が、家康の命により、彦根城を築城した。彦根山(金亀=こんき 山)を城地と定め、関ヶ原の合戦の前哨戦で持ちこたえた大津城から天守部材を持ち込んで、1607(慶長12)年頃に完成したと伝わる。
彦根城跡は国特別史跡になっており、天守とそれに続く附櫓(つけやぐら)、多聞(たもん)櫓が国宝だ。天守をはじめ、城跡に多くの貴重な遺構があるのは、明治時代に各地の城が壊されていくなかで、大隈重信の進言により解体を免れたからだという。
その奥の太鼓門(国重文)をくぐると、間近に見る白壁の天守が美しい。屋根に丸みを帯びた唐破風(からはふ)や切妻(きりつま)破風が施され、変化に富んでいるのが印象的だ。天守内には4、5人が入れる広さの「破風の間」と呼ばれる部屋が4か所あるが、この部屋がどのように利用されたのかは不明だとか。天守からは、北東に佐和山城跡や伊吹山、北西に琵琶湖や比良(ひら)山系、南に彦根市街が一望できる。
名園・玄宮園と井伊直弼が暮らした埋木舎
城の北側には、国名勝の玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)が広がる。玄宮楽々園とは、江戸前期に造営された下屋敷・槻御殿(けやきごてん)内にある池泉回遊式庭園の玄宮園と、御殿に臨む池泉・枯山水庭園の楽々園の総称だ(現在、一部工事中。建物は外観のみ見学可)。
幕末の大老で桜田門外の変で落命した井伊直弼(なおすけ)は13代当主。直弼は11代当主・直中(なおなか)の十四男としてこの槻御殿で生まれたが、直中の死とともに城外の屋敷(現在の埋木舎=うもれぎのや )に移り、苦労を重ねたという。ちなみに、1963年放映の第1作目のNHK大河ドラマ「花の生涯」は井伊直弼の生涯を描いている。
城を見学した後は、商家風の建物の食事処や土産物店などが立ち並ぶ夢京橋キャッスルロードを歩く。近江牛グルメや買い物を楽しみたい。
文/荒井浩幸
近江肉せんなり亭 伽羅
夢京橋キャッスルロードにある近江牛専門料理店。落ち着いた雰囲気でランチに寄りたい。ランチメニューは「近江牛 和風ロースステーキ重」や「近江牛 すき焼き鍋御膳(並)」(各4200円)がおすすめ。
■11時30分~14時30分、17時~20時30分/火曜休、12月31日休/℡0749-21-2789(※掲載時のデータです)
御城印:あり(300円)※開国記念館で販売
入城:8時30分~16時30分/無休/800円(玄宮楽々園を含む)
交通:東海道線・近江鉄道彦根駅から徒歩15分
℡:0749-22-2742(彦根城運営管理センター)
※彦根城博物館、埋木舎の開館時間、休みは異なる。埋木舎は冬季閉館。データは掲載時のものです。
【家康メモ】
1575(天正3)年の鷹狩りの折、徳川家康に取り立てられたといわれる井伊直政。直政は徳川四天王の一人として、家康から重用され、小牧・長久手(ながくて)の戦いや関ヶ原の合戦でも大きな活躍をした。直政の死後、彦根城築城の際には、天下普請(ぶしん)として家康が支援する。大坂の陣による中断後、元和(げんな)年間(1615〜24年)の彦根藩単独での元和普請で櫓、門、表御殿、高石垣、外堀などが造られた。大坂の陣では、2代当主・直孝が出陣。その戦功から徳川幕府より5万石の加増を受ける。徳川家と井伊家の親密な関係は家康の代から幕末まで続いた。
(出典:「旅行読売」2023年2月号)
(Web掲載:2023年2月19日)