【私の初めてのひとり旅】穂村 弘さん 北海道、名古屋、鳥取(1)
ほむら ひろし(歌人)
1962 年、北海道生まれ。上智大学英文科卒業。1990 年、歌集『シンジケート』でデビュー。その後、短歌のみならず、評論、エッセー、絵本、翻訳など幅広いジャンルで活躍。短歌評論集『短歌の友人』で伊藤整文学賞、『楽しい一日』で短歌研究賞、『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、歌集『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。近著に『短歌のガチャポン』。
「事前に準備するなんてダサい、突然や偶然がいいんだと思ったんです」
初めてひとり旅をしたのは、今から40年以上前、北海道大学年1生の夏休みです。10代のぼくは冒険的なことに憧れながらも踏み切れなくて。大自然と触れ合うことを夢見て北大に進学し、トレッキングをイメージしてワンダーフォーゲル部に入りました。実際は、本格的な山岳登山で、自分の体力のなさ、メンタルの弱さを痛感しました。
北海道特有かもしれませんが、登山の行き帰りにヒッチハイクするという風習もありました。そういうのがぼくはすごく苦手で、だから逆に「ヒッチハイク、カッコいい」と。事前に準備するなんてダサい、突然や偶然がいいんだと思ったんです。
山にも登ったし、ヒッチハイクもしたんだから、ひとり旅もできるはずと、夏休みに実家のあった埼玉県草加へ鉄道ひとり旅を決行しました。札幌から函館まで行くのに7時間以上もかかって、お金もずいぶん使ってしまったのがショックでした。函館から青函連絡船に乗って青森へ。青森から夜行列車で上野に出て、くたくたになって実家にたどり着きました。母親の手料理を食べ、布団に入ったけれど敗北感しかなかった。
途中、隣の席の人にミカンをもらったくらいでドラマチックなことはなにもなく、偶然性への憧れは全然満たされない。翌日リベンジする思いで、鉄道で高校時代を過ごした名古屋へ友達に会いに行くことにしました。
「いかにも”青春”な展開。でも現実は厳しかったです」
突然行って驚かそうと、名古屋に着いて友達に連絡したら、「忙しい」と誰も会ってくれない。ぼくが思い描いていたのは、「おお、懐かしいな!」と歓待され、ほかの友達にも声をかけて皆で集まり、その流れで家に泊めてもらうという、いかにも「青春」な展開でした。でも、現実は厳しかったです。
野宿するしかないと名古屋の公園で寝袋を広げていたら、通りがかりの男性が「何してるの?」と声をかけてきました。ちょっと誇らしい気持ちで「野宿するところです」と答えたら、「蚊に刺されるよ」と言うんです。それは嫌だなと思っていたら、彼は親切にも「アパートに泊めてあげる」と。旅先での偶然の出会い、こういうのがひとり旅の醍醐味だよなと思ったのを覚えています。ところが部屋に入った途端、彼の言葉遣いや仕草がしなしなとなり、いきなりぼくの太ももをつかんできました。突然の人格の変容に驚き、「ぎゃー!」と悲鳴を上げ、靴を持って逃げました。もう野宿する気力もなく、終夜営業のファミリーレストランで一夜を明かして帰りました。
結局、それが最初で最後のひとり旅になりました。だから、ひとり旅に関しては0勝1敗です。今は還暦を過ぎて、ホッとしています。もうリベンジしなくてもいい。還暦過ぎた男がヒッチハイクとか野宿とか、カッコよくはないでしょう?(笑)
聞き手/田辺英彦