【私の初めてのひとり旅】浅田次郎さん 軽井沢、小諸(2)
あさだ じろう (作家)
1951年、東京生まれ。『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で中央公論文芸賞、司馬遼太郎賞、『中原の虹』で吉川英治文学賞、『終わらざる夏』で毎日出版文化賞、『一路』で本屋が選ぶ時代小説大賞、『帰郷』で大佛次郎賞を受賞。2007 年より直木賞選考委員。2015 年、紫綬褒章。(写真/中央公論新社写真部)
「ひとり旅の寂寥感だったのか、胸が締めつけられる思いがした」
【私の初めてのひとり旅】浅田次郎さん 軽井沢、小諸(1)から続く
小諸では小諸城址・懐古園を訪れた。島崎藤村(とうそん)の『千曲川(ちくまがわ)旅情の歌』の詩「小諸なる古城のほとり 雲白く※遊子(ゆうし)悲しむ……」は、昔は学校の授業で暗記させられた。藤村の言葉の選び方が好きで、『夜明け前』の書き出し「木曽路はすべて山の中である」などは印象的だ。スタイリッシュな作家だと思う。
小諸城址では草笛を吹く男性がいたと記憶している。美しい音色をずっと聞いていた。ひとり旅の寂寥感だったのか、胸が締めつけられる思いがしたのを覚えている。
宿の予約などしておらず、駅の案内板で温泉宿を見つけ、飛び込みで泊めてもらった。中棚(なかだな)温泉中棚荘だ。中棚荘が島崎藤村の足繁く通った宿だとは知らなかった。駅の看板で藤村ゆかりの宿を謳っていたので選んだのか、あるいは藤村に呼ばれたのかもしれない。藤村も川端も日本ペンクラブの会長を務めたが、後年まさか自分が引き継ぐことになるとは夢にも思っていなかった。
宿では風流をし、本を読んで過ごした。花鳥風月(かちょうふうげつ)を愛でる風流も、今は死語になってしまった感がある。数年前に中棚荘を再訪した時、大正館の玄関が当時のままだったのを覚えていて、「ああ、ここだ」と感慨を覚えた。
「『文学の旅』を果たしたので、全然予定はない」
翌日は小諸から小海線に乗って、周遊する形で東京に戻るルートを選んだ。「文学の旅」を果たしたので、全然予定はない。
松原湖駅で下車したのは、紅葉がきれいだったのと、山あいの松原湖に詩情を感じたからだ。駅から湖まで歩いて行く途中の坂に咲いていたコスモスもきれいだった。私は花が好きで、今でもお金を使う優先度は花、本、飯の順。
湖畔を散策したり、ひとりでボートに乗ったりしたあと、湖畔の小さな宿に泊めてもらったが、後から考えると高校生の少年がひとりで泊まるのを怪しんでいた節があった。しょっちゅう仲居さんが様子を見に来ていたから、首でも吊られたら困ると思ったんじゃないか。
帰路は小海線で小淵沢に出て、中央線に乗り換えて東京に戻ったはずだが、まったく覚えていない。帰路についた途端、「文学の旅」は終わってしまったようなものだから、記憶に残らなかったのだろう。
話/浅田次郎 聞き手/田辺英彦