【私の初めてのひとり旅】浅田次郎さん 軽井沢、小諸(1)
あさだ じろう (作家)
1951年、東京生まれ。『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で中央公論文芸賞、司馬遼太郎賞、『中原の虹』で吉川英治文学賞、『終わらざる夏』で毎日出版文化賞、『一路』で本屋が選ぶ時代小説大賞、『帰郷』で大佛次郎賞を受賞。2007 年より直木賞選考委員。2015 年、紫綬褒章。(写真/中央公論新社写真部)
「今でも旅に本は欠かせない。読む本がなくなる恐怖心があるんだ」
初めてのひとり旅ははっきり覚えている。高校1年の秋、文化祭の代休と休日を利用して信州を巡った2泊3日の旅だ。好きな本を詰め込んだボストンバッグが重かった。今でも旅に本は欠かせない。読む本がなくなる恐怖心があるんだ。大量の本は鎮静剤のようなもの。過剰なほど持って行くのは一種の病気と言える。
私は中学校に入ったときから、小説家になりたいと思っていた。複雑な家庭環境が影響したのかもしれないが、小さな頃から本を読むことが好きだったのと、文学青年だった先輩に小説の本当の面白さを教えられたからである。
当時、高崎から長野を経由して直江津までつながっていた信越線に乗り、はじめに軽井沢で下車した。計画も立てずに旅立ったが、「文学の旅」を意識していた。文学の世界に対する憧れがあったんだ。軽井沢は室生犀星(むろうさいせい)や堀辰雄、芥川龍之介、川端康成などの文士が足繁(あししげ)く訪れ、別荘を建て、作品に描いた地だから、訪れてみたかった。
「川端康成が特に好きで、バッグの中には『高原』の文庫本も入っていた」
川端康成が特に好きで、バッグの中には『高原』の文庫本も入っていた。「軽井沢だより」という随筆が収められているが、表題作も軽井沢が舞台の小説だ。
今は復元されてしなの鉄道軽井沢駅になっているようだが、当時は復元前の洋風の旧駅舎が現役だった。作品の舞台や川端の山荘を訪ねるといった目的はなかったので、駅舎を出て周辺をブラブラ歩いたんだろう。軽井沢の町は、今のようにきれいでもにぎやかでもなかった。
駅前のロータリーから小諸行きのバスが出ていたので、浅間山の麓を巡ってのんびり行こうと思って乗り込んだ。川端康成も軽井沢の山荘から浅間山の眺望を楽しみ、浅間山を身近に見たかったんだろう。
川端つながりで言うと、その前の年の中学3年の時、友達と2人で『伊豆の踊子』の足跡をたどって旧天城トンネルを下駄(げた)で歩いたし、新婚旅行は『雪国』を執筆した越後湯沢温泉の高半(たかはん)旅館に泊まった。ことほどさように川端康成が好きだった。川端については「文士としての完成形」という空気をまとっていたと思っている。
話/浅田次郎 聞き手/田辺英彦