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【青春18きっぷでできること】百閒先生と行く『阿房列車』御殿場線・東海道線の旅(1)

場所
  • 国内
  • > 北陸・中部・信越
  • > 静岡県
> 山北町、静岡市ほか
【青春18きっぷでできること】百閒先生と行く『阿房列車』御殿場線・東海道線の旅(1)

富士山を正面に見ながら足柄―御殿場駅間を走る御殿場線の列車(写真/ピクスタ)

 

「区間阿房列車」の昭和の鉄道風景をたどる

作家の内田百閒(ひゃっけん)は鉄道好きが高じて、「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」の書き出しで知られる紀行文『阿房(あほう)列車』を著した。戦後間もない日本で、用事もないのに鉄道に乗ることは限られた人だけに許された道楽だったに違いなく、その非常識さを自覚して名付けた『阿房列車』は、〝乗り鉄エッセーの元祖〟ともいえる。ぼやきを交えつつ旅の顛末(てんまつ)を語る直截な言葉には、鉄道愛があふれている。

例えば、「汽車が近づいて来るのを見る位うれしい事はない」という言葉は今でいう「鉄(テツ)」の言葉そのもの。お供の国鉄職員「ヒマラヤ山系」との要領を得ない掛け合いも恒例で、時には「犬が死んだ様なきたならしいボストンバッグをさげて来たので、大いに面目を潰(つぶ)した」などと辛辣(しんらつ)だ。

乗車することそのものが目的の『阿房列車』シリーズは長距離コースが多いのだが、御殿場(ごてんば)線経由で静岡まで行く「区間阿房列車」は比較的短く、手軽に挑戦できる。作中同様、東京駅発なら青春18きっぷ利用がお得なので、文庫本をかばんに入れ、〝百閒先生〟の旅をたどった。

海が近い国府津駅を出発し、御殿場線最高所の標高455㍍の御殿場駅を目指す
富士岡駅ホームからは富士山がよく見えた

御殿場線が東海道線だった昭和初めまでの頃

東京駅から東海道線に乗る。「区間阿房列車」では、東京駅を出るまでに全ページの半分近くを費やしているのが面白い。「錬金術(れんきんじゅつ)」(借金)による旅費捻出や昔の台湾旅行の回想、また熱海― 函南(かんなみ)駅間の丹那(たんな)隧道(ずいどう=トンネル)が開通する1934(昭和9)年以前、御殿場線が東海道線だった頃の思い出などが挿入される。岡山出身の百閒先生は帰省時にこの路線を頻繁に利用しており、今昔の風景の変化を対比している。

国府津(こうづ)駅で降り、御殿場線に乗り換える。作中ではここで雨が降り出し、富士山を一度も見られなかった百閒先生に同情した。令和のこの日は快晴で、頂(いただき)に少し雪が残る富士の山容がずっと車窓に映り続け、すがすがしい眺めを堪能したからだ。

レトロな木造駅舎の山北駅
SLのD52を展示する鉄道公園は山北駅から徒歩すぐ。月に1度、整備運行を実施

山北駅で降りたのは東海道線時代、勾配(こうばい)を上るため、「皆山北駅に停まって、汽車の尻にもう一つ後押しの機関車をつけた。山北駅は山間の小駅なのに、大きな機関車庫があって、逞(たく)ましそうな機関車が幾台も並」んでいた、という回想があったから。鉄道の町だった頃の面影を探すと、鉄道公園にSLのD52(デゴニ)が保存されていた。沿線は桜の名所で、桜のトンネルを走る鉄道の撮影スポットやカフェがある。

山北駅を出ると、鉄道唱歌「出(い)でてはくぐるトンネルの 前後は山北小山(おやま)駅 今も忘れぬ鉄橋の 下行く水の面白さ」の通りの風景が車窓に展開する。百閒先生に倣(なら)うなら乗車に集中して途中下車による観光は慎むべきだが、裾野駅の古い駅舎を見たくてつい降りてしまった。作中この辺りは勾配を進むため列車が「スウィッチ・バック」したとあるが、電化された今は何事もなかったように直進する。

文・写真/福﨑圭介 ※太字は『阿房列車』からの引用

 

【青春18きっぷでできること】百閒先生と行く『阿房列車』御殿場線・東海道線の旅(2)へ続く

改修された明治期築の駅舎が残る裾野駅。木造の跨線橋が美しい

やまきたさくらカフェ

線路沿いの桜並木そばにあり、縁側から庭の緑や花を眺める古民家カフェ、雑貨店。2016年に店主がUターンして開業。山北町内にある「薫る野牧場」のジャージー牛の牛乳を使った滑らかなソフトクリーム450円、ドリンクセット750円。鉄道公園や桜のトンネルの撮影スポットの橋も近い。

■11時~16時/水・木曜休、金曜不定休/山北駅から徒歩4分/神奈川県山北町山北2597-10/TEL:0465-25-0016

※掲載時のデータです。

人気のソフトクリームとドリンクのセット。モデルコースの行程では滞在時間が短くなるので注意

※上記モデルコースの交通費:青春18きっぷ2回利用(4820円)で、2280円お得


新潮文庫の『第一阿房列車』。第三まである

『阿房列車』と内田百閒

内田百閒は1889年、岡山県生まれ。1971年没。夏目漱石門下生の作家で、法政大学教授。『冥途(めいど)』『旅順入城式』『サラサーテの盤』など不安や狂気が見え隠れする幻想的な短編群の一方で、ユーモアに満ちた軽妙な筆致で随筆『百鬼園随筆』『ノラや』を書いた。1952年に刊行した『阿房列車』も後者に属し、用事なく鉄道に乗ることを自虐的に「阿房列車」と称して、昭和20~30年代の日本各地を旅した。時に直截に、時にぼやきながら旅の顛末が語られる中、当時の鉄道旅の風景やスタイルそのものが興味深い。今回紹介した「区間阿房列車」は新潮文庫『第一阿房列車』に収録。

 

(出典:「旅行読売」2023年7月号)

(Web掲載:2023年7月17日)

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Writer

福崎圭介 さん

新潟県生まれ。広告制作や書籍編集などを経て月刊「旅行読売」編集部へ。編集部では、連載「旅する喫茶店」「駅舎のある風景」などを担当。旅先で喫茶店をチェックする習性があり、泊まりは湯治場風情の残る源泉かけ流しの温泉宿が好み。最近はリノベーションや地域再生に興味がある。趣味は映画・海外ドラマ鑑賞。

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