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北陸新幹線敦賀延伸!「欧亜国際連絡列車」の陸海路の玄関口・敦賀港線跡廃線ウォーク

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> 敦賀市
北陸新幹線敦賀延伸!「欧亜国際連絡列車」の陸海路の玄関口・敦賀港線跡廃線ウォーク

現在も非公開の敦賀港駅跡を含む敦賀港線廃線跡。2023年10月5・6日のモニターツアーでは特別に見学。下記参照

 

難工事だった旧北陸線開通で敦賀から欧州へ

2024年3月16日、北陸新幹線がいよいよ金沢から敦賀まで延伸し、開業する。敦賀の新時代の幕開けだ。港町・敦賀は鉄道でも時代を先取りしてきた歴史がある。新幹線開業を前に、新旧の列車に思いをはせながら、敦賀の鉄道遺産を巡るのも面白い。

新橋(東京)からヨーロッパまで1枚の切符で渡航できる「欧亜国際連絡列車」がかつてあったことをご存じだろうか。明治の終わりの1912年に開業。新橋駅から列車で金ヶ崎駅(後に敦賀港(みなと)駅と改称)へ向かい、敦賀港からウラジオストク(ロシア)までを海路で結び、そこからシベリア鉄道でヨーロッパ各地へと訪れることができるようになった。

その重要な乗り換え拠点となったのが、敦賀港だ。敦賀は古来、港町として栄え、明治以降は国際港として発展する。欧亜国際連絡列車が走れたのも、その前に開通した旧北陸線が大きな役割を果たした。

旧北陸線の開通は苦難の連続であった。明治の初め、政府は琵琶湖東岸の長浜(滋賀)と敦賀間の鉄道建設を決める。滋賀と福井の県境の柳ケ瀬トンネルは4年の歳月がかかった難工事であった。柳ケ瀬トンネルの完成により1884年に長浜と敦賀・敦賀港間が鉄路で結ばれる。さらに鉄路は敦賀から北へ。1896年には、今庄(いまじょう)を経て福井まで延びる。

しかし、敦賀―今庄間は急勾(こう)配のため、12のトンネルを掘る必要があり、こちらも命がけの工事が続いた。技師、作業員たちの努力と工夫の結晶ともいえる旧北陸線も近江塩津経由の新ルートの開設や、急勾配解消のため北陸トンネル(当時、世界で5番目の長さ)が1962年に開通し、その役目を現在の北陸線に譲る。

船で東京からヨーロッパまで約1か月かかった時代に、敦賀港経由の鉄道ルートは東京とパリをわずか17日で結んだという。その歴史を物語る鉄路(写真提供:花田欣也)

日本遺産に認定されている敦賀の鉄道遺産巡り

これら旧北陸線の歴史は、「海を越えた鉄道 ~世界へつながる 鉄路のキセキ~」として、日本遺産に認定されている。とくに、欧亜国際連絡列車の海路・陸路の玄関口となった敦賀には、魅力あふれる鉄道遺産や国際港の歴史を物語る施設が数多い。

まず、旧敦賀港駅舎を復元した敦賀鉄道資料館がおすすめだ。敦賀の鉄道の歴史を紹介した写真や貴重な鉄道資料が展示されている。1882年頃に建てられたレンガ造りの旧敦賀港駅ランプ小屋と当時のカンテラも見逃せない。また、「人道の港 敦賀ムゼウム」の施設では、1920年代にロシア革命の動乱のためシベリアで家族を失ったポーランド孤児を、第二次世界大戦中ではリトアニア領事代理の杉原千(ち)畝(うね)が発給した「命のビザ」をもったユダヤ難民を温かく迎え入れてきた国際港・敦賀の歴史を今に伝える。

鉄道と港の「ジオラマ館」「レストラン館」として利活用された赤レンガ倉庫も人気だ。「敦賀港駅跡周辺は、現在も貨物ヤードとして一部利用され、鉄道コンテナ群や大型船の風景、複数の手動式ポイントなど往時の面影を色濃く残しています」と地域観光アドバイザー・トンネルツーリズムプランナーの花田欣也さんは熱く語る。敦賀港駅跡を含む敦賀港線跡は、長らく非公開とされてきた。

ポーランド孤児とユダヤ難民の苦難の史実を伝える「人道の港 敦賀ムゼウム」(写真提供:一般社団法人敦賀観光協会)
1905年に建てられた2棟の敦賀赤レンガ倉庫は国登録有形文化財(撮影:旅行読売)

貴重な非公開エリアを巡るモニターツアー実施!

その立ち入り禁止区域も含めて、10月5日・6日に花田欣也さんがガイドを務める、1泊2日の「敦賀廃線モニターツアー」(1泊2日)を実施する。敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)や赤レンガ倉庫、「人道の港 敦賀ムゼウム」を巡り、宿泊は新鮮な海鮮料理を提供する民宿だ。翌日は和装体験で癒やしのひとときを過ごす。

モニターツアーについて詳しくは、こちら

(Web掲載:2023年9月8日)

花田氏の詳しいガイドを聞きながら旧敦賀港線跡の一部を散策できる(写真提供:花田欣也)

Writer

旅行読売出版社 メディアプロモーション部 さん

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