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【ミニシアターのある町】コラム ミニシアターの現在地

【ミニシアターのある町】コラム ミニシアターの現在地

高田世界館の映写機

 

ミニシアターの誕生

ひとつのミニシアターが消える。それにとどまらない衝撃だった。22年7月の岩波ホールの閉館である。東京・神保町にあった192席の小さなホールは、日本の映画文化の象徴だった。そして、現在全国に約130館あるとされるミニシアターの始まりでもあった。

岩波ホールの設立は1968年。74年には、大手が配給しない世界の埋もれた名作を上映する運動「エキプ・ド・シネマ」が始まった。その第1作はインドのサタジット・レイ監督の「大樹のうた」。名作を「発掘」して紹介することで、ホールは後に「ミニシアター」と呼ばれる劇場群の先駆けとなった。欧米の映画が中心だった日本では、アジア、アフリカ、中南米などの珍しい作品を見せてくれるホールのスクリーンは、世界をのぞく「窓」だった。

81年には、新宿にシネマスクエアとうきゅうが開館。大手の劇場で初めて単館ロードショーを実施し、「薔薇(ばら)の名前」などをヒットさせた。同年には六本木の俳優座シネマテン、翌82年に渋谷のユーロスペース、83年にシネ・ヴィヴァン・六本木など、次々とミニシアターが生まれた。

80年代~90年代に最盛期を迎える

80年代、いわゆる「ミニシアターブーム」が起きる。流通や興行の大手が経営に乗り出し、東京にはシネセゾン渋谷、シネマライズ、シャンテシネ、文化村ル・シネマなどがオープン。「ベルリン・天使の詩(うた)」「トレインスポッティング」「ニュー・シネマ・パラダイス」などが大ヒット。若者文化の発信源にもなった。

90年代になると、地方にも個性的なミニシアターが作られていく。開館当時29席で日本最小だった札幌市のシアターキノ、大森一樹監督が館内で「明るくなるまでこの恋を」を撮影した大阪市のシネ・ヌーヴォ、「こども映画教室」など独自の活動を始めた金沢市のシネモンド……。

一方で93年、日本初のシネマコンプレックス(シネコン)が誕生すると、興行形態は大きく変わっていく。シネコンの数が大幅に増え、ミニシアターは横ばい。どちらでもない既存の映画館は激減していった。

ミニシアターのスクリーンは世界をのぞく「窓」

2000年代以降はシネコンが主流となり、ミニシアターと同じアート系作品も上映するようになる。近年は岩波ホールだけでなく、ギンレイホールやテアトル梅田など、代表的なミニシアターの閉館が相次いだ。その一方で、地域住民の交流の場を目指す東京・青梅のシネマネコなど、新たにユニークなミニシアターも登場している。地域に根差した上映活動を継続的に行う非営利組織「コミュニティシネマ」も全国に広がっていった。

昨年、49館以下で公開された小規模作品のうち、6割以上がミニシアターでしか公開されていない。今もミニシアターのスクリーンは、世界をのぞく「窓」なのである。

文/小梶勝男


【ミニシアター】
一般的に客席数200以下の小規模映画館。大手映画配給会社の直接の影響下になく、世界の映画(新作、旧作)を独自に上映。「名画座」「単館系」を含む。

【シネコン】
シネマコンプレックス。スクリーンを複数備える大型映画館。大手のメジャー作品を中心に上映。国内の映画館数が減る一方、シネコンの影響でスクリーン数は増えた。

 

(出典 「旅行読売」2023年9月号)
(WEB掲載 2023年9月30日)


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