【私の初めてのひとり旅】田中要次さん 東京、京都(1)
たなか・ようじ [俳優]
1963年、長野県出身。国鉄、JR東海に勤務した後、27歳で上京。スタッフ兼業の俳優として芸能活動を開始した。2001年、木村拓哉主演のTVドラマ「HERO」のバーのマスター役でブレイク。「蠱毒 ミートボールマシン」(17年)で映画初主演を務めた。バイプレーヤーとして映画、テレビに多数出演。テレビの旅番組への出演も多い。
「自分の意志を貫いた上京は、僕にとって本当の旅立ちでした」
勤めていたJR東海を辞めて、俳優を志して上京したのが1990年のクリスマスの日。愛知県岡崎市内の社員寮を出て愛車のホンダVT250Fを駆って、一路杉並区のアパートを目指しました。引っ越しの荷物は先に運んであったので、バイクでの道程は〝青春の旅立ち〞のような高揚感がありました。アパートにバイクを止め、すぐに向かったのが日本武道館。ファンだったロックバンド、RCサクセションのライブに行く予定だったんです。高揚感はそのせいだったかな?(笑)。
これを「ひとり旅」というのは変ですかね? 地元の長野県木曽町にいた頃、友人たちと鳥取や能登を目指して何度かクルマ旅をしたことがありました。その時は僕がビデオを回して、旅をしながら映画を作る感覚でシナリオも書きました。ある時、旅の途中でふと思ったんです。「今カメラを構えている僕を誰が撮ってくれるのだろう」と。それが後に俳優になりたいという思いにつながったのかもしれません。仲間とつるんで行動することが多かった自分が、バイクで単身上京したのは、初めてのひとり旅だったと感じています。
年内にはJR東海の寮を出なければならなかったので、東京で住むところを探して、決めたのが杉並区和泉(いずみ)のアパートでした。京王線の明大前駅が最寄り駅で、まだ居住者がいて内見できないまま即決したのは、番地が18番18号だったから。18-18、つまり一(いち)か八(ばち)か。これからの人生を表しているようで気に入ったのです。
上京後は撮影所の照明部で働いたり、女優の室井滋(しげる)さんの付き人やバイク便のライダーをしたりしながら、少しずつですが、俳優の仕事をもらえるようになっていきました。
昔、名古屋で観て胸を熱くした映画に「SO WHAT(ソー・ホワット)」という高校生の青春群像劇があって、ラストで主人公が家を出て旅立つんです。自分も故郷を離れて岡崎にいましたが、これは旅立ちじゃない。自分の意志を貫いた上京は、僕にとって本当の旅立ちでした。そういう意味では「今も東京でずっと旅を続けています」と言えるかもしれません。
話・写真/田中要次 聞き手/田辺英彦
【私の初めてのひとり旅】田中要次さん 東京、京都(2)へ続く(12月17日公開予定)
(出典:「旅行読売」2023年12月号)
(Web掲載:2023年12月16日)