【昭和のドライブイン&レトロ自販機】コラム 昭和~令和のドライブイン
ノスタルジックな川原新田ドライブイン(岩手)の店内
こしの・ひろゆき
1974年、東京生まれ。子どもの頃から鉄道を愛して全国を旅し、昭和の町並みに心を惹かれた。2011年にドライブインやレトロ自販機と出合い、各地を回るようになる。著書に『懐かしの昭和ドライブイン』(グラフィック社)、『昭和レトロ自販機大百科』(洋泉社)など。
昭和50年代に最盛期を迎えたドライブイン
昭和39(1964)年の東京オリンピックの時期以降、モータリゼーションの波に乗り、国道沿いなどにでき始めたドライブインは昭和50年代に最盛期を迎えた。
ドライブインは、定義上は「駐車場があり、車に乗ったまま乗り入れることのできる商業施設」ということで実は飲食店に限定されないのだが、多くの人はドライブインといえば食堂をイメージするだろう。ドライブインを名乗る店はわかりやすいが、それ以外では定食などの食事を提供するロードサイドの大衆食堂が、特に日本ではドライブインと呼ばれた。個人経営か、せいぜい家族経営の中小企業が運営する小さな店だ。
観光地近くの店では土産物売り場を、トラックドライバー向けの店では休憩時の息抜きのためのゲームコーナーを併設するところも多い。昭和の全盛期はおしゃれな外食を楽しむ場所でもあり、カップルのデートの目的地がドライブインということもあったというと、驚く人も多いのではないだろうか。
無人の24時間営業のドライブインが登場
昭和40年代に入ると国道沿いなどにはドライブインが急速に増え始めたが、深夜まで営業している店は少なかった。その後、うどん・そば、ラーメンなどの麺類やハンバーガー・トーストの自動販売機の登場により、「コインスナック」「オートレストラン」などと呼ばれる無人の24時間営業のドライブインが登場する。現在レトロ自販機と呼ばれるそれらが、コンビニがまだない時代、深夜の国道を走るドライバーたちの胃袋を満たしていたのだ。
高速道路ができ始めるとドライバーはサービスエリアなどで食事ができるようになり、移動時間やルート、車と人と物の流れが変わって通行量が減り、さらに道の駅の登場、ファミリーレストランやコンビニの普及などにより、国道沿いのドライブインは徐々に衰退していった。
昭和から平成、そして令和と時代が移り変わった今、私がこれまで取材してきた印象では、昭和のままの姿で営業を続けるドライブインは、全国に200~300店舗程度ではないだろうか。最盛期から30年、40年と営業を続けてきた店が、建物の老朽化や後継者問題で暖簾(のれん)を下ろすケースも少なくない。
令和のドライブインはどうなっていくのか
このままドライブインは消えていくのだろうか?
令和に入ったこの時代にも、ドライブインの名を冠する新しい店や、和歌山周辺では看板にドライブインと書いてある新しいコンビニを見た。ドライブインという名の響きは、最盛期を知らない若い人たちにはおしゃれなものとして、昭和を懐かしむ世代にはノスタルジックなものとして再認識されているのかもしれない。
私は古い町並みや鉄道車両など懐かしいものが好きで、昭和40年~50年代の雰囲気が感じられる場所を求めて日本全国を旅する中でレトロ自販機と出合い、それらが置かれたドライブインにも惹(ひ)かれていった。
長年変わらないボリュームいっぱいの定食などの味はもちろん魅力だが、本当の魅力はそこにいる「人」なのではないかと思う時がある。店主や女将さんの手が空いていそうな時に、勇気をもって話しかけてみてほしい。昭和の頃に繁盛した昔話や、長年続ける中でさまざまな困難に直面してくぐり抜けた苦労話など、貴重な話をたくさん聞かせてくれるだろう。
そのコミュニケーションが最高の旅の思い出になるはずだ。
文・写真/越野弘之
(出展:「旅行読売」2024年1月号)
(Web掲載:2024年1月17日)