歴史ロマン!謎解きで伊能忠敬が食べた料理を再現!下諏訪本陣 岩波家の古文書がヒント
大久保洋子先生が監修した再現メニュー
多くの皇族や大名が宿泊した下諏訪本陣 岩波家
長野県にある下諏訪宿は、諏訪大社下社の門前にあり、五街道の中山道と甲州街道がつながる場所にあることから、古くから江戸と京を結ぶ交通の要衝として栄えた。多くの皇族や大名が宿泊した下諏訪本陣 岩波家は、県宝にも指定されており、京風数寄屋造りの建物や中山道随一とうたわれた庭園などは、往時の面影を感じることができる。
今回、この岩波家に残されていた献立を記した古文書の一つが、日本全国を測量した伊能忠敬が宿泊した時のものだとわかり、その料理が再現され披露された。残されていた古文書には、9月24日から27日の日付と、24日の夕食から27日までの夕食の品書き・材料が書かれていたが、誰が食べたものかは書かれていなかった。
そこで、まずは誰かという特定作業から始まった。28代当主・岩波太佐衛門尚宏さんと「岩波家を永遠(とわ)に守る会」のメンバー・山田朋子さんを中心に、江戸の食文化を専門に研究している大久保洋子先生(和食文化国民会議顧問、元実践女子大学教授)らでその古文書の内容が検証された。「なぜ4日間も滞在?」、朝昼夕の食事のほか弁当の献立があり「何のための弁当?」などの疑問が生じ、もしかしたら皇族や大名の宿泊ではないのではと考えたという。では身分が高くなくても本陣に泊まることができる人物は? という推測に浮かび上がってきたのが、当時幕府の命で全国の地図の測量をしていた伊能忠敬。この裏付のために、伊能忠敬研究会に照会したとこ文化6年9月24日〜27日(1809年11月1日〜4日)、確かに伊能忠敬と18人の部下が第7次測量の一環で下諏訪に泊まっていたことがわかった。
人物と時期が特定された後は、時代考証を元に食材や調理方法を検証。献立に記されていた中から、到着時に供された雑煮と最後の4日目の夕食のレシピを、実践女子大学教授の佐藤幸子先生が作成した。大久保先生から当時の調味料など食文化のアドバイスを受けながら再現したのが、雑煮や本膳の飯、汁、茶碗蒸し、平(煮物)、焼物、香の物、菓子重などの10品。
当主の岩波さんは「今回の再現メニューが下諏訪の観光振興につながれば嬉しい」と話し、今後地域の関係者と商品化を検討していく予定。本陣の庭を眺めながら、伊能忠敬が食した料理を食べる……。まさにここでしか体験できない歴史ロマンが、下諏訪本陣 岩波家で実現する日は近い。
本陣 岩波家
住所:長野県諏訪郡下諏訪町横町3492番地イの1
電話:0266-28-7055
開館:10時~16時、水曜休※季節によって変更あり
料金:800円
(Web掲載:2024年2月22日)