【文化財の宿】わずかに残る妓楼建築の宿に泊まる
大正時代のかみなか楼中庭にて。家族や娼妓(しょうぎ)たちに囲まれた中央の男性が先代の上仲民之助氏(旅館かみなか所蔵)
遊郭(ゆうかく)の面影を残す妓楼(ぎろう)建築の宿が、絶滅危惧種のごとくわずかに残っている。妓楼建築の宿を撮り続けるカメラマンの関根虎洸さんに、その魅力を語ってもらった。
妓楼建築に興味を持ったきっかけは旧満州旅行
私が妓楼建築に興味を持つようになったきっかけは、2014年に旧満州を旅行したことだった。現在の中国東北部にあたるかつての満州には戦前に日本が建設した多くの建物が残っているが、偶然にも日本が建設した2か所の遊郭跡を訪ねる機会があった。戦後70年を経て、かつての遊郭は暗く怪しげな雰囲気を漂わせていた。地方から来た出稼ぎ労働者が暮らす朽ちた建物に私は惹(ひ)かれた。
そして翌年に伊勢神宮を参拝した際に、外宮(げくう)と内宮(ないくう)をつなぐ参宮街道に残る麻吉(あさきち)旅館に宿泊した。街道沿いの伊勢古市(ふるいち)参宮街道資料館には、全盛期には70軒、遊女約1000人を数えたという古市遊郭の資料が残っている。参拝客は伊勢参りの後に都合よく〝精進(しょうじん)落とし〟と称して参宮街道にあった遊廓で遊興にふけったという。
旅行先で遊郭跡を訪ねたことがきっかけとなり、私は全国に残る妓楼建築を調べ始めた。粋(すい)を集め贅(ぜい)を尽くした妓楼建築は、他の建物とはどこか違う華美で怪しげな雰囲気を醸しながら、少しずつ町の中へ溶け込んでいった。
私が惹かれたのは、妓楼建築の旅館である。売春防止法の施行から60年以上が過ぎ、ほとんどの建物はすでに取り壊されてしまったが、かつての宿場町や船着き場、門前町などに、今もわずかながら妓楼建築の旅館がひっそりと残っている。旅館のご主人や女将さんに遊郭時代の話を聞かせてもらったのは、旅館の歴史に思いを馳(は)せる興味深い体験だった。
駅前のビジネスホテルも快適で便利だが、妓楼旅館に限らず、少し足を延ばして現地の古い旅館に泊まれば、いつもとは違う旅情を味わえるかもしれない。
文・写真/関根虎洸
旅館かみなか<岐阜>
1888(明治21)年築の妓楼建築をとどめる飛騨高山の高級旅館。建物の保存状態が素晴らしい。ご主人と若旦那は老舗料理店で修業を積んだ料理人。
■岐阜県高山市花岡町1-5/TEL:0577-32-0451 公式ホームページはこちら
旅館 橋本の香<京都>
旧橋本遊郭のもっとも高級な妓楼だった旧三桝楼(みますろう)を改修し、2020年オープン。日本文化を守ろうと私財を投じて建物を買い取ったのは旧満州出身の女性だった。
■京都府八幡市橋本小金川2/TEL:090-8375-8761
中村旅館<青森>
築130年の妓楼建築。近くに商家が並ぶ「中町こみせ通り」があり、城下町の観光も楽しめる。
■青森県黒石市浦町1-33/TEL:0172-52-2726
関根虎洸(せきね ここう)
1968年、埼玉県生まれ。フリーカメラマン。元プロボクサー。著書に『遊廓に泊まる』(新潮社)、『桐谷健太写真集・CHELSEA』(ワニブックス)ほか
(出典:「旅行読売」2022年6月号)
(Web掲載:2024年3月31日)