あの本に誘われて越後湯沢、みなかみへ 夜汽車気分で上越線の旅【泣けるひとり旅】
越後湯沢駅にて。上越新幹線も通っているが、見事に対照的な風情が感じられる
「春」「夜汽車」「窓」、ありふれた三つの名詞に誘われて
「『特急の汽車って、どうして窓が開かないの?』帰郷の旅が近づいてくると、きまって次女が訴えるようにそういう。」
こんな書き出しで始まる三浦哲郎の『春は夜汽車の窓から』は、1973年に毎日新聞社から出版された連作掌編集『笹舟日記』のうちの一編だ。中学、高校の国語の教科書にも採用されていたので、記憶にある方もいらっしゃるのではないだろうか。
私は、春になるとなぜか毎年、この題名がふと心に浮かぶ。何度か小声に出してみたりする。「春」「夜汽車」「窓」、ありふれた三つの名詞が頭の中を駆け巡り、響き合い、私は夜汽車に乗せられ、遠くの春の闇へ連れ去られるのである。
実際に、窓が開く夜汽車に乗って吹き込む風に春を感じたい。毎年そう思っていたのだが、実行には移せないでいた。何せ、窓が開く夜汽車など今はもう走っていないのだ。ならば、せめて疑似体験をと思い立ち、東京駅から高崎線~上越線の普通列車で、上州、越後路のひとり旅を決行。一冊の本に誘われ旅に出た。
トンネルを抜けると小説『雪国』
目指したのは、上越線越後湯沢駅。高崎線~上越線の直通列車はなく、まずは高崎線で高崎駅へ。帰宅ラッシュを避けるために日曜の夜を選んだが、若者グループや家族連れで車内はにぎわい、残念ながら夜汽車の風情は薄かった。乗客は次々と入れ替わり、見る限り東京駅から高崎駅まで乗り通したのは私だけだった。
高崎駅に着く頃には日もとっぷり暮れ、上越線普通列車に乗り換えると、途端にローカル色が濃くなった。列車は利根川が造った谷を北へ向かうのだが、周囲は暗く地形はぼんやりとしか分からない。時折、随分高い所に車道を行く車の明かりが見えて、谷は深まり、両岸に山が迫って来ているのだろうと想像できた。
水上駅でもう一度乗り換えると、いよいよ本格的な夜行列車の疑似体験だ。湯檜曽(ゆびそ)、土合(どあい)、土樽(つちだる)……。その名の由来の想像もつかない駅が続く。それでこそローカル線だ。
湯檜曽―土樽駅間には全長1万3500メートルの新清水トンネルがあり、谷川岳をくぐる。出口はまだかともどかしくなる、あの「国境の長いトンネル(※)」だ。やがて車内に籠っていた反響音がぱっと開放されると同時に、3月上旬のこの日は「雪国」が広がった。本当に「夜の底が白くなった」。そっと窓を開け、「信号所に汽車が止まった」場所はどこかと目を凝らしたが、手掛かりすら見つからなかった。
※『雪国』に描かれたのは、現在は上り専用の清水トンネル。新清水トンネルは1967年に開通した下り専用のトンネル。
列車は静かに坂を下り、越後湯沢駅に到着した。少しだけ夜汽車気分に浸れたが、窓を開けてもホームに出ても、まだ春は気配すら感じさせてくれなかった。それでも三浦哲郎に触発され、川端康成と同じ目線をたどる旅は、充実感に満ちていた。やはり本はいい。
寂寥感あってのひとり旅
実はまだ旅の続きがある。ここまで来たら越後湯沢温泉に宿を取るのがセオリーであろうが、スキーシーズン終盤も重なり、手頃な値段でひとりで泊まれる宿が見つからなかった。そこで、水上駅まで引き返してみなかみ温泉で宿を探した。本誌1月号でも紹介した坐山(ざざん)みなかみに問い合わせると、ひとり泊歓迎、チェックインが遅くなっても大丈夫とのこと。今回のひとり旅には、にぎやかな温泉町より、ちょっとさびれた(失礼!)みなかみ温泉がいいと、心は決まっていた。
チェックイン前に温泉街を歩くと、時間が遅いこともあり人影はまばら。でもこの静けさがいい。不思議と寂しさを感じることもなかった。宿で紹介された「酒食処 大八(だいはち)」の縄暖簾をくぐる。今回のひとり旅の経緯を語ると、もつ煮や馬刺し、地酒で歓待された。〆(しめ)には味噌(みそ)ラーメン。ひとり旅には、1軒で済ませられる何でもありのメニューがありがたい。
元気をもらって欲が出た。もう一度、「国境」を越えたい。翌朝は快晴。ふたたび新清水トンネルをくぐり越後湯沢に着く頃、窓を開けるとほんの少しだけ、春の香りがした。純白の谷川岳がまぶしいほどに輝いていた。
文/渡辺貴由 写真/齋藤雄輝
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年5月号)
(Web掲載:2024年5月27日)