池田屋事件から160年、新選組の実像を知る
壬生寺の近藤勇胸像。横にある「遺髪塔」には近藤勇の髪が祀られている
新選組の前身である、「壬生(みぶ)浪士組」が最初に活躍したのは、長州藩や過激な尊王攘夷派を京都から追放した1863年の「八月十八日の政変」だった。その翌年の6月5日、今も語り継がれる「池田屋事件」が起きた。今回は動乱の幕末を駆け抜けた、新選組ゆかりの地を訪ねてみたい。
新選組が結成されたのが中京区の壬生の地で、隊士にゆかりの深い壬生寺(みぶでら)や、寝泊りする屯所(とんしょ)となった屋敷がいまも残されている。壬生寺は平安中期に創建された古刹。新選組が軍事訓練を行ったという境内には、隊士を祀った壬生塚があり、隊士11人の墓や近藤勇の胸像、遺髪塔、土方歳三胸像が点在し、新選組ファンの聖地となっている。鎌倉時代から続く無言劇の壬生狂言は、国の重要無形民俗文化財で、境内の狂言堂舞台で節分や春の大念佛会、秋の特別公開で上演される。
壬生寺の北東、屯所になっていた八木家は、新選組ゆかりの屋敷を守りつつ、現在は和菓子店を営んでいる。八木家は、新選組の筆頭局長だった芹沢鴨が内部抗争によって暗殺された場所だ。八木家の表座敷にある京都鶴屋「鶴寿庵」では、屯所のガイド付き拝観料に、抹茶と名物の屯所餅が付いてくる(中学生以上1100円)。
八木家の前にある旧前川邸は、1863年からおよそ2年間、屯所として使われており、総長の山南敬助が切腹した屋敷だ。現在、個人の住居になっているため非公開だが、土・日曜、祝日には、玄関で新選組をモチーフにしたグッズなどを販売している。
東山にある霊山(りょうぜん)歴史館は、倒幕・佐幕両派の史料を展示する博物館で、9月8日まで夏の企画展「新選組と京の動乱〜池田屋事件、禁門の変160年〜」を開催中だ。土方歳三の拷問によって古高俊太郎が自白し、池田屋事件に発展。また、後に長州勢と幕府側諸藩の連合軍が御所周辺などで戦闘になったのが「禁門の変」だ。企画展では、新選組や志士側の史料から「池田屋事件」や「禁門の変」の実像に迫る。