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土屋勇磨さん(軽井沢総合研究所代表取締役)が語る 軽井沢ブランドの未来は?【日本の涼景】

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土屋勇磨さん(軽井沢総合研究所代表取締役)が語る 軽井沢ブランドの未来は?【日本の涼景】

歴史を感じさせる建物が人気を集めたエロイーズカフェ軽井沢本店は、老朽化のため2023年4月から休業中

 

  

土屋勇磨(つちやゆうま)

1978年生まれ、長野県軽井沢町出身。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科修了(MBA)。2012年、株式会社軽井沢総合研究所を設立。音楽ホール「ハーモニーハウス」をリニューアルした「エロイーズカフェ」(老朽化のため休業中)が話題となり、全国6店舗を展開。現在は軽井沢でウイスキーブランド作りに挑戦中。著書『ブランド・ストーリー戦略』(マネジメント社)など。

 

軽井沢は今、バブル期に迫るほどの別荘・移住ブーム

軽井沢は今、バブル期に迫るほどの別荘・移住ブームが続いている。大型の別荘地は公に出る前に売れ、リゾートマンションは都心並みの価格でも即完売している。大手不動産会社が参入し、賃貸もできるホテルコンドミニアムまで登場し話題となった。新型コロナウイルスの影響でリモートワークが当たり前となり、勤務地にしばられず働けるようになったことで移住希望者も増加している。

別荘地として人気がある旧軽井沢や南ヶ丘、南原(みなみはら)や千(せん)ヶ滝(たき)エリアは地価が高騰している。移住組は比較的西に位置する追分や隣町の御代田(みよた)エリアを選択しているが、軽井沢エリア全体で不動産業界が活気づいている。

観光産業もインバウンドの影響もあり、大忙しだ。新しいホテルが次々と開業し、レストランは予約が取りづらく、人手が足りない状況だ。今後も新たな商業施設の計画やホテル開業の情報もあり、ますます賑(にぎ)わっていくことだろう。

軽井沢がなぜ日本一の別荘地になったのか?

順調に発展しているように見える軽井沢だが、課題も山積している。特に重大なのは、そのブランドの価値が脅かされる危機感を多くの人たちが持っている点である。ここで考えたいのが中山道の宿場町に過ぎなかった軽井沢がなぜ日本一の別荘地になったのか?ということだ。

軽井沢は明治中期に英国聖公会の宣教師A・C・ショー氏によって別荘地として見出され、冷涼な気候も相まって避暑地としての歴史を歩んだ。やがて皇族や政財界・文化人もこぞって別荘を求め、特別な地として発展してきた。歴代内閣総理大臣の多くが軽井沢に別荘を持っている。上皇ご夫妻が出会ったエピソードや、ジョン・レノンが毎夏を過ごしたストーリーはあまりにも有名である。「訪れてみたい」、そんな人々の憧れの別荘地こそが軽井沢の本来の姿なのだ。

軽井沢のブランド価値はそんなストーリーと人にあり、それを証明するのが歴史的建造物である。軽井沢の自然環境や歴史遺産の保全に取り組む「軽井沢ナショナルトラスト」が保有する約120軒余りの歴史的建造物リストのうち、現存するものは80軒程度。筆者はそのことに危機感を持ち、自身でも建物を保存する活動を行ってきた。宣教師由来の建物をカフェにしたり、三井財閥の別荘を見学するツアーを実施したりした。

盛況だった三井財閥別荘見学ツアー。2016年撮影
ツアーの目玉だった三井三郎助別荘は19年に解体された

カフェはそのストーリーと自然豊かな別荘地の環境が話題となり、連日行列ができる人気店となった。別荘見学ツアーもNHK連続テレビ小説「あさが来た」のモデルとなった広岡浅子にゆかりのある三井三郎助の別荘も見学できたため、予約でいっぱいになった。しかし、その後は建物の老朽化や所有者の意向などによって保存活動は壁に当たっているのが現状だ。歴史やストーリーが宿る建物を保存する制度は、今のところ軽井沢町には存在しない。

このまま住宅地化が進み、雑多な観光都市になってしまったら、軽井沢は別荘地としての本来の姿を見失ってしまうのではないだろうか。軽井沢のまちづくりは別荘地としての歴史やストーリーを活(い)かしつつ、進化、発展させていくべきだ。「軽井沢ブランド」は今、その価値を未来に繋(つな)いでいくために、真剣に向き合わなければならない時を迎えている。

文・写真/土屋勇磨(軽井沢総合研究所代表取締役)


※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2024年8月号)
(Web掲載:2024年9月25日)


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