「森の芸術祭 晴れの国・岡山」を旅して
津山城に展示された「竹の鼓動」
アートでもっと楽しい観光を
岡山県北部の12市町村で2024年9~11月、「森の芸術祭 晴れの国・岡山」が初めて開催された。目標としていた25万人の倍以上の約52万人が全国から押し寄せたイベントに、晩秋の週末、足を運んだ。自治体や企業がアートで地域を盛り上げようとする芸術祭は、いつにないユニークな観光を楽しめて、「旅のチャンス」であることを実感した。
美しい城壁が残る津山城(津山市)に通じる石段を息を切らして上り終え、人通りが少なくなる空き地に、その巨大インスタレーションはあった。竹材を複雑に束ねた高さ5メートルの「竹の鼓動」は、見る角度によって、カボチャのようにも、動物の顔のようにも見える。子どもたちがバチで作品を容赦なくたたく(注・許可されています)「カーン、カーン」という音が響く。インド出身のアシム・ワキフ氏が制作した作品は、芸術祭の期間が終われば取り壊される運命のアートならではの、遊び心とライブ感に満ちていた。
「大学生たちとともに、長さ6メートルの竹を400本運び、何キロもやせました。作品に設計図はなく、ワキフさんと地元の竹細工作者らが即興のアイデアでつくりました」。日頃はITを担当しているという県庁職員が、制作の裏話を明かしてくれた。
市民と観光客の憩いの場となったアートもある。イタリア出身のジャコモ・ザガネッリ氏は、ホテルが閉業し、駐車場になっていた場所をあえて選んでシャープな形状の卓球台を3台並べた作品「津山ピンポン広場」を制作した。「人のいないところに、アートでにぎわいをつくりたいというのが作者の思いだったそうです」。案内してくれた関係者が解説する。確かに、地元の人と観光客が一緒になって「ピンポンonアート」を楽しみ、にぎやかな空間が生まれていた。残念ながら、芸術作品としての価値は、凡人にとっては難しかったが……。
「森の芸術祭 晴れの国・岡山」は、過疎化が進む県北部の山間部を舞台に、気鋭の芸術家の作品を広域的に展示。アートを通じ豊かな自然に恵まれた山間部の「資産」を発掘し、観光振興につなげる狙いもあった。最も注目を集めた作品のひとつは、ひっくりかえった森を橋から見下ろし、その奥深さを表現する仕掛けだった。
奈義(なぎ)町のゲートボール場に設置された「まっさかさまの自然」は、天井から380本もの人工樹がぶら下がるインスタレーション。中央に設置された吊り橋を渡ると、特殊な鏡でできた両脇の〝池″の底から、樹木がにょきにょき伸びて見える。作者は、アルゼンチン出身のレアンドロ・エルリッヒ氏。金沢21世紀美術館(石川県)にある、水でいっぱいのプールに入った錯覚を体感できる「スイミング・プール」でも有名な芸術家だ。
紅葉の名所・奥津渓には、周囲の風景や物音と響き合っている不思議なインスタレーションがあった。立石従寛(じゅうかん)氏作の「跡」は、川沿いの岩場に設置された複雑な構造物。鏡のようなアルミ板が景色を映し、観賞用に特設された椅子に座ると、左右のスピーカーから様々な生き物の声が聞こえる。もともと真っ赤な紅葉と渓流が絶景なのだが、アートによって目に見え、耳に聞こえていた世界が、ぐっと広がった。
芸術祭の期間中、津山城での特別晩餐会が開催されるなど、地元の魅力を満喫する様々なイベントも各地で開催された。泉源の真上に浴槽がある「足元湧出」の温泉や、「珈琲」という言葉の起源とされる津山榕菴(ようあん)珈琲(コーヒー)など、ぜひもう一度行きたくなる名所、名産品との出会いもあった。わずか2日間だったが、岡山県北部への初めての旅をたっぷり満喫できた。
アクセス面には改善の余地も
交通の便が悪い地方での広域開催とあって、アクセスでは課題も残した。今回はJR西日本が全面支援し、臨時の観光列車などを走らせたため普段よりはかなり便が良かった。それでもシャトルバスが1時間に1本しかなかったり、周回バスが一方向しか運行していなかったりと、自分のペースで作品を楽しむには厳しいものがあった。一方、マイカーで回るには、会場の分かりにくさがネックで、地図に載っていない展示に気づかず通り過ぎる人もいた。それは、ほかの地方開催の芸術祭にも共通する課題といえるかもしれない。
それでも、観光地として認知度が低かった岡山県北部に、津山市の人口の5倍の見学者が足を運び、前衛的な現代アートという「非日常」だけでなく、特産の牛肉からコーヒーまで魅力的な「日常」も味わった意義は大きい。「津山ピンポン広場」など、芸術祭の後も残すことが決まった施設もある。2025年4月には、3年に一度の「瀬戸内国際芸術祭2025」が岡山県を含む瀬戸内海の島々で開幕する。
岡山に足を運び、「アート×旅」の時間を楽しんではいかがだろうか?
写真・文/貞広貴志
(WEB掲載:2024年12月12日)